小野小町

生没
825頃–900頃
出身
不明(出羽国とする伝えがある)
日本
時代
中古

生涯

平安時代の前期、9世紀に活動した女性歌人である。生没年も出自も確かではない。父を出羽郡司の小野良真とする系図があるが、確証はない。宮廷に仕える女官だったとみられ、仁明天皇や文徳天皇の頃に活躍したと考えられている。

確かなのは、『古今和歌集』の仮名序で紀貫之が六人の歌人(六歌仙)の一人として名を挙げ、その歌を批評していることである。晩年については何も分かっていない。

作風

歌の多くは恋を主題とする。とりわけ、夢の中で相手に会う、あるいは会えないという趣向を繰り返し用いた。

「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」——相手を思いながら寝たから夢に現れたのだろうか、夢と分かっていれば目覚めなかったのに、という歌である。現実では会えない相手に、眠りの中でだけ会う。この夢と現実の往復が、小町の歌の中心にある。

紀貫之は仮名序で、その歌を「あはれなるやうにて強からず」と評した。心に迫るが、芯の強さには欠ける、という趣旨である。

作品

家集『小町集』が伝わるが、後人の作が混じっているとみられ、確実に小町の作といえるものは多くない。

『古今和歌集』に入る18首が基本になる。「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」は、桜の色が褪せていくさまに自分の容色の衰えを重ねた歌で、『百人一首』にも採られてよく知られる(小倉百人一首)。

文学史における立ち位置と影響

小町は、六歌仙・三十六歌仙にともに数えられる平安前期の代表的な歌人である。技巧を凝らしながら情感の深い歌風は、古今和歌集の時代の和歌を代表するものとされる。

同時に、文学史では「伝説の広がり」という点でも大きい。絶世の美女でありながら求愛を退け、年老いて落ちぶれたという物語が中世に作られ、の「卒都婆小町」「通小町」など数多くの作品を生んだ。実像がほとんど分からないことが、かえって後世の想像をかき立てた例である。