金槐和歌集
- 作者
- 源実朝
- 成立
- 1213
- 国
- 日本
- 時代
- 中世
概要
鎌倉幕府の三代将軍源実朝が自ら詠んだ歌を集めた家集である。家集とは、勅撰集のように天皇の命で編まれるものではなく、個人の歌をまとめたものをいう。約700首を収め、実朝が22歳頃までに詠んだ歌とみられる。
書名の「金」は鎌倉の「鎌」の偏を、「槐」は大臣を意味する語を取ったもので、あわせて「鎌倉右大臣の家集」を表す。
実朝は京の文化に強く憧れ、当代随一の歌人藤原定家に教えを請うた。定家から歌の手本として『近代秀歌』を贈られており、その影響を受けた技巧的な歌も多い。だがこの集が文学史で重んじられるのは、そこに収められた別の系統の歌——万葉集に学んだ、飾りの少ない力強い歌のためである。
文学史における評価と影響
同時代の主流は新古今和歌集の世界で、言葉の奥に余情を漂わせる技巧が尊ばれていた。その中で実朝の万葉調は異質だった。当時の評価はさほど高くない。
評価が定まるのは近代である。正岡子規は歌よみに与ふる書(1898年)で古今和歌集を「くだらぬ集」と激しく批判する一方、実朝を「歌人としては上乗の位」と絶賛した。見たものをありのままに写す「写生」を掲げた子規にとって、実朝の直截さは理想に近かったのである。
以後、近代短歌が万葉を範とする流れの中で、この集は繰り返し参照されてきた。将軍として非業の死を遂げた作者の生涯とあいまって、歌人・源実朝の像はここから形づくられている。
内容
配列は春・夏・秋・冬・恋・雑に分かれ、勅撰集の形式にならう。
代表として引かれるのが「大海の磯もとどろに寄する波割れて砕けて裂けて散るかも」である。荒れる海の波を、割れる・砕ける・裂ける・散ると動詞を畳みかけて写した。技巧を凝らすのではなく、目に映る力をそのまま言葉にしている。
一方で「時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ」のように、将軍という立場から民を思う歌もある。定家に学んだ優美な歌と、万葉調の歌と、為政者としての歌が同居しており、歌風は一つに定まらない。