松尾芭蕉
- 生没
- 1644–1694
- 国
- 日本
- 時代
- 近世
何をやったか
格下の遊びだった俳諧を、芸術に変えた。 俳諧はもともと連歌の余興であり、滑稽と言葉遊びを旨とするもので、和歌のような格式を持たなかった。芭蕉はその発句(第一句)を独立させ、十七音で世界を切り取る形式にまで高めた。
生涯にわたって旅を続け、そこで得た句と文章を紀行文にまとめている。おくのほそ道(一七〇二年刊)はその代表である。
この作品は事実の記録ではない。 同行した弟子の曾良が別に日記を残しており、両者を突き合わせると日付・経路・出来事が食い違う。芭蕉は構成のために事実を動かしている。旅を素材にして作られた作品であって、旅行記ではない。この点は誤解されやすい。
文学史における位置
中世の西行を強く意識していた。旅をし、世を捨て、風雅に生きるという生き方を自らに引き受けることで、俳諧に精神的な重みを与えた。 過去の隠者の系譜に自分を接続する行為である。
俳諧の理念として「不易流行」(変わらないものと変わり続けるもの)、「さび」「かるみ」などを説いたが、これらは弟子たちの記録を通じて伝わったもので、芭蕉自身の体系的な理論書は残っていない。
その後、与謝蕪村が絵画的な句を、小林一茶が生活と生き物への眼差しを持ち込み、俳諧の幅を広げた。近代に入ると正岡子規が俳句として再定義し、現在に至る。世界で最も短い定型詩として海外にも広がったが、その出発点にこの人物がいる。
代表作
- おくのほそ道(一七〇二年刊)— 東北・北陸を巡る紀行。代表作
- 『野ざらし紀行』『笈の小文』— 初期・中期の紀行
何から読むか
おくのほそ道から入るのが順当である。分量が少なく、句と文章が交互に来るので読み進めやすい。
曾良の随行日記を併載した版を選ぶと、芭蕉が事実をどう構成し直したかを突き合わせて確認できる。 作品として読むうえで、この視点があると理解が深まる。