曾根崎心中
- 作者
- 近松門左衛門
- 成立
- 1703
- 国
- 日本
- 時代
- 近世
概要
実際に起きた事件を、一か月後に舞台にかけた作品である。1703年4月、大坂の曾根崎の森で、醤油屋の手代徳兵衛と遊女お初が心中した。近松門左衛門はこれを人形浄瑠璃にし、同年5月に初演した。
この速さが、当時としては異例だった。それまで浄瑠璃の題材は、歴史上の英雄や貴人だった。近松は、町にいるふつうの人間の事件をそのまま舞台に乗せた。 客席には、その事件を噂で知っている人々が座っている。
上演は一時間ほどで、短い。三段構成で、筋も単純である。徳兵衛が友人に金を騙し取られ、身の証を立てられなくなり、お初と死ぬ。 それだけの話にあたる。
最も知られているのが末尾の道行である。二人が死に場所へ向かう道中を、七五調の詞章で語る。この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば——橋を渡り、鐘の音を数え、夜明けが近づく。
浄瑠璃は、太夫が語り、三味線が伴奏し、人形が動く。役者ではなく人形が演じるため、心中という行為が生々しくなりすぎない。 その距離が、この作品を美しいものにしている。
近松はこのとき五十歳を過ぎていた。歌舞伎の作者として活動していたが、この作品を機に人形浄瑠璃に戻り、以後、同種の作品を書き続ける。
文学史における評価と影響
世話物——同時代の町人の事件を扱う演目——の出発点とされる。
それまでの浄瑠璃は時代物、つまり歴史や伝説を扱っていた。この作品以後、いま起きたことを舞台にするという方法が定着する。近松自身が心中天網島、女殺油地獄と書き継ぎ、他の作者も追随した。
現実への影響が大きすぎた。この作品が当たった後、大坂で心中が続発する。舞台が心中を美しく見せたため、と受け取られた。幕府は1722年に心中物の上演を禁じ、心中を扱った本の出版も禁じた。心中した者の遺体は葬らせず、生き残った者は罪に問われた。作品が社会を動かし、そのために規制された例にあたる。
「義理と人情」という枠組みが、この系譜で確立する。世間に対して果たさねばならない義理と、自分の心。その両立が不可能になったとき、死ぬしかない。 この構図が、以後の日本の芝居と小説に繰り返し現れる。
近松の評価は近代に一度作り直された。明治期、坪内逍遥らが近松を「日本のシェイクスピア」と呼び、文学として読み直した。それまで近松は、上演のための台本の作者であって、読む対象ではなかった。
道行の詞章は、日本語の韻文としても高く評価される。七五調を積み重ねて、死へ向かう時間の流れを作る。この文章そのものが暗誦の対象になった。
あらすじ
上の巻。醤油屋の手代徳兵衛は、店の主人の姪と結婚するよう命じられている。だが徳兵衛には、遊女お初という相手がいる。
徳兵衛は縁談を断る。ところが継母がすでに結納金を受け取っていた。徳兵衛はその金を取り返し、店へ返そうとする。
そこへ友人の九平次が現れ、急な入り用だから貸してくれと頼む。徳兵衛は期限を切って貸す。
中の巻。期限が来ても九平次は返さない。徳兵衛が問い詰めると、九平次はそんな金は借りていないと言い張る。証文の判は偽物だ、と主張する。
人々の前で、徳兵衛は嘘つきとして扱われる。九平次に殴られ、踏みつけられる。 金は戻らず、店に返せず、身の証も立てられない。
その夜、徳兵衛はお初のいる店へ行く。人目を避けて、縁の下に隠れる。
そこへ九平次が客として来て、徳兵衛の悪口を言い散らす。お初は縁側に座ったまま、足で縁の下の徳兵衛に触れる。そして、徳兵衛さんは死ぬ覚悟だろう、と九平次たちに聞こえるように言う。徳兵衛はお初の足首を取り、自分の喉に当てて、死ぬ意志を伝える。 二人は言葉を交わさずに決める。
下の巻——道行。夜更け、二人は店を抜け出す。曾根崎の森へ向かう。
この世の名残、夜も名残——と語りが始まる。橋を渡り、七つの鐘の音を数える。あと六つ、あと五つ。残りの時間が音で示されていく。
森に着き、二人は木に身を縛りつける。徳兵衛はお初を刺す。手が震えて一度で終わらない。そして自分の喉を突く。
夜が明ける。二人の死は人々に語られ、未来成仏疑ひなき恋の手本となりにけり、という一文で作品は終わる。