18世紀のフランス文学 — 啓蒙思想・ヴォルテールとルソー
18世紀のフランス文学を読むうえで最初に知っておくべきなのは、書いたものが罪になったという事実である。ヴォルテールはバスティーユに投獄され、ディドロも投獄され、ルソーは逮捕状が出て国外へ逃げた。書物は焚書にされ、出版は許可制で、無許可の本はオランダやスイスで刷ってフランスへ密輸された。
この条件が、この世紀の文体を決めている。直接言えないから、外国人に語らせ、架空の旅行記にし、笑い話の形にし、辞書の項目の相互参照に紛れ込ませた。
検閲をかいくぐる技術が、作品の形を決めた
具体的な方法を挙げると、この世紀の作品の形が理解しやすい。
外国人の目を借りる。 モンテスキューのペルシア人の手紙(1721年)は、パリを訪れたペルシア人が本国へ書き送る手紙という形をとる。外から見れば、自国の慣習はすべて奇習に見える。自分では言えない批判を、異邦人に言わせている。
架空の国へ行かせる。 遠い国の風習を語る体裁で、実際にはフランスを論じる。イギリスのスウィフト『ガリヴァー旅行記』が同じ手を使っている。
笑い話にする。 深刻に論じれば発禁になるが、軽い調子の短い話なら通ることがある。
匿名にし、刊行地を偽る。 著者名を伏せ、刊行地に架空の都市名を刷る。ヴォルテールは生涯に百以上の筆名を使ったとされる。
18世紀フランスの主な作品
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| ペルシア人の手紙 | 1721年 | モンテスキュー | |
| 哲学書簡 | 1734年 | ヴォルテール | 書簡体の評論 |
| 法の精神 | 1748年 | モンテスキュー | 政治論 |
| 『百科全書』 | 1751〜1772年 | ドゥニ・ディドロ・ダランベール編 | 事典 |
| 人間不平等起源論 | 1755年 | ジャン=ジャック・ルソー | 論文 |
| カンディード | 1759年 | ヴォルテール | 哲学的な物語 |
| 社会契約論 | 1762年 | ジャン=ジャック・ルソー | 政治論 |
| エミール | 1762年 | ジャン=ジャック・ルソー | 教育論 |
| 寛容論 | 1763年 | ヴォルテール | 評論 |
| 危険な関係 | 1782年 | ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ | 書簡体小説 |
| 告白 | 1782〜1789年 | ジャン=ジャック・ルソー | 自伝 |
| 『フィガロの結婚』 | 1784年上演 | ボーマルシェ | 喜劇 |
ヴォルテールは、生涯を不寛容との論争に費やした
ヴォルテールは文学者というより、生涯を論争に費やした人物である。詩、悲劇、歴史、哲学、書簡、あらゆる形式を使ったが、目的は一貫して不寛容と迷信への攻撃だった。
貴族に侮辱されて投獄され、イギリスへ亡命した経験がこの人を変えた。イギリスでは信仰が複数あって共存し、商人が尊敬され、ニュートンが国葬されている。帰国後に書いた哲学書簡は、イギリスを褒めることでフランスを批判するという体裁をとり、焚書処分になった。
カンディード(1759年)は今日最も読まれている。この世は可能な世界のうち最善である、という楽天論を、主人公に災難を浴びせ続けることで潰していく。リスボン大地震、宗教裁判、戦争、奴隷制。軽い調子の短い話が、当時の一つの思想的立場を破壊した。 結末で主人公は「われわれの畑を耕さねばならない」と言う。世界を論じるのをやめ、手の届く範囲で働け、という意味に読まれてきた。
実際の事件にも介入している。カラス事件では、冤罪で処刑された商人の名誉回復のために三年戦い、判決を覆させた。作家が具体的な司法の不正と戦うという型が、ここで生まれる。19世紀のゾラによるドレフュス事件への介入は、この系譜の上にある。
百科全書は、構造そのものが武器だった
ディドロとダランベールが編んだ『百科全書』は、1751年から二十年以上かけて刊行された。全二十八巻、項目数七万以上、執筆者百数十名。
表向きは中立な知識の集成である。だが構造そのものが武器になっていた。
- 危険なことは、無難な項目の中に紛れ込ませる
- 「参照」の指示を使って読者を別の項目へ誘導する。二つを突き合わせると批判が浮かび上がる
- 職人の技術を図版入りで詳細に記述した。神学より、実際に物を作る技術のほうが多くの頁を占める
刊行は再三妨害され、途中で特許を取り消され、印刷業者が無断で危険な箇所を削除する事件も起きた。それでも完成している。知識のどれが重んじられるかという序列そのものを、この事業は組み替えた。
ルソーは、同じ陣営にいながら逆を向いていた
ルソーは啓蒙の陣営にいながら、他の面々と決定的に違っていた。理性と文明が人間を良くするという前提を、共有していない。 学問や芸術の進歩は人間を堕落させたと論じ、社会が不平等を作ったと論じた。ヴォルテールとは激しく対立している。
政治の側では社会契約論(1762年)が、主権は人民にあると論じ、革命の理論的な源泉の一つになった。教育の側ではエミールが、子どもを大人の縮小版として扱うのをやめ、発達の段階に応じて育てることを説いた。この書のなかの宗教論が理由で逮捕状が出て、逃亡生活に入る。
文学史でもっとも大きいのは告白である。自分の生涯を、恥ずべき部分まで含めて全部書く、と冒頭で宣言した。盗み、嘘、性的な事柄、他人に罪をなすりつけた記憶まで書いている。
自分について書くことが文学の中心的な主題になりうる——モンテーニュが16世紀に始めたものを、ルソーが徹底した。ここから19世紀のロマン主義が直接出てくる。
世紀末に、語り手の権威を消す小説が現れた
ラクロの危険な関係(1782年)は、この世紀の技術的な達成である。
書簡体で、地の文が一行もない。読者は登場人物が書いた手紙だけを読む。同じ出来事について複数の人物が違うことを書き、誰かが嘘をついている。誰を信じるかを、読者が自分で決めさせられる。
内容は貴族の男女が退屈しのぎに他人の人生を破壊する話で、当時から不道徳として非難された。しかし構造として見れば、語り手の権威を消すという点でフローベールの実験を八十年先取りしている。
サドはさらに極端な方向へ進み、生涯の大半を監獄と精神病院で過ごした。その作品が公に流通するのは20世紀に入ってからで、シュルレアリスムの面々が再評価した。
ボーマルシェの『フィガロの結婚』(1784年上演)では、召使いが貴族に向かって、あなたは生まれてくる苦労をしただけだ、という趣旨のことを言う。革命の五年前に、宮廷の目の前で身分制が笑われている。 そして1789年、革命が起こる。
18世紀が残したのは、武器としての文学と「私」の再発見
| 起きたこと | |
|---|---|
| 文学が武器になる | 検閲下で、外国人の目・笑い・辞書の構造が批判を運んだ |
| 知識の序列が変わる | 『百科全書』が職人の技術を神学と並べた |
| 作家の社会的介入 | ヴォルテールがカラス事件で判決を覆させた |
| 「私」の再発見 | ジャン=ジャック・ルソー告白が、次の世紀のロマン主義を準備する |