ドゥニ・ディドロ

青い部屋着姿で、羽根ペンを手に机に向かうドニ・ディドロの油彩肖像画。
ルイ=ミシェル・ヴァン・ロー筆(1767年)
原綴
Denis Diderot
生没
1713–1784
出身
シャンパーニュ地方ラングル(現・オート=マルヌ県)
フランス
時代
18世紀

生涯

1713年、シャンパーニュ地方のラングル(現・オート=マルヌ県)の刃物職人の家に生まれた。パリで学び、定職につかず、翻訳や著述で生計を立てた。

三十代のなかば、書店から百科事典の編纂を依頼されたことが、生涯の大事業につながった。ディドロはこれを、単なる事典ではなく、あらゆる分野の最新の知識と、理性にもとづく批判的な精神を結集した書物に育て上げた。数学者ダランベールとともに編集にあたり、多くの啓蒙思想家が執筆に加わった。この『百科全書』の刊行には、教会や当局の妨害がつきまとい、二十年以上の歳月を要した。

大胆な思想はしばしば当局の目を引いた。盲人をめぐる著作で唯物論的な見方を示したことがとがめられ、パリ郊外のヴァンセンヌの塔に一時投獄されてもいる。

その一方で、小説や戯曲、美術批評も書いた。展覧会の作品を批評した「サロン評」は、近代の美術批評の出発点とされる。ただし大胆な作品の多くは、生前には発表されず、死後に世に出た。晩年、生活の資を得るために蔵書を手放そうとしたところ、ロシアの女帝エカチェリーナ二世がこれを買い上げ、そのうえで本はディドロの手元に残し、司書として給料を払うという厚遇を与えた。その招きでペテルブルクを訪れてもいる。1784年にパリで没した。

作風

ディドロの思想の中心には、理性による探究と、既成の権威への批判がある。宗教的な権威や、伝統的な道徳を、理性の光にさらして問い直した。物質から精神まで、世界をありのままに観察しようとする姿勢が、その仕事を貫いている。

小説では、形式の実験を好んだ。『運命論者ジャックとその主人』は、主人と従僕の脱線だらけの対話で進み、作者がたびたび顔を出して物語の約束事をからかう。筋を追う小説の枠を、内側から壊してみせた。この自由な語りは、二十世紀の小説を先取りするものだった。

対話という形式も好んだ。相反する立場を登場人物に語らせ、思想を一方的に断定せず、両面から揺さぶる。この開かれた思考の運動が、ディドロの文章の魅力である。

作品

『百科全書(Encyclopédie)』(1751-1772年)

ダランベールとともに編集した、全二十八巻におよぶ大百科事典である。学問・技術・産業のあらゆる分野の知識を集め、理性と批判の精神で編み直した。啓蒙思想の集大成であり、旧体制の権威に理性を対置した点で、フランス革命へ向かう時代の記念碑とされる。

『運命論者ジャックとその主人(Jacques le fataliste)』(死後刊)

主人と従僕の、脱線を重ねる対話によって進む小説である。物語の約束事そのものをからかう自由な語りで、近代小説の実験を先取りした。

哲学的な対話篇『ラモーの甥(Le Neveu de Rameau)』も、死後に評価された代表作にあたる。

文学史における立ち位置と影響

ディドロは、ヴォルテールルソーモンテスキューと並ぶ、フランス啓蒙思想の中心人物として文学史に名を残す。とりわけ『百科全書』の編集は、時代の知を結集し、理性の力を世に示した巨大な事業だった。

小説家としての評価は、むしろ後世に高まった。生前に発表されなかった実験的な作品が、二十世紀になって、近代小説の先駆として読み直されたのである。作者が物語に介入し、形式そのものを問う手法は、現代の小説にも通じている。

思想家、小説家、批評家として多方面に才を発揮したディドロは、啓蒙の世紀を体現する、もっとも精力的な知識人の一人とされている。

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