カンディード
- 原題
- Candide
- 作者
- ヴォルテール
- 成立
- 1759
- 国
- フランス
- 時代
- 18世紀
概要
1759年に匿名で刊行された短篇小説である。三十章、日本語訳で文庫一冊の半分ほどの長さにあたる。「この世は可能なあらゆる世界のうち最善である」と教えられた青年が、戦争、地震、宗教裁判、奴隷制を次々に経験する。災難のたびに師が同じ楽天論を繰り返し、そのたびに空々しくなる。当時の楽天主義への攻撃として書かれ、ヴォルテールの作品のなかで今日最も読まれている。
1755年11月1日、リスボンで大地震が起きた。死者は数万人にのぼり、教会に集まっていた人々が生き埋めになった。神が善であるなら、なぜこれが起きたのか——この問いが、当時のヨーロッパに突きつけられる。ヴォルテールはただちに『リスボンの災禍についての詩』を書き、楽天論を批判した。この作品は、その延長にある。
批判の対象は、ライプニッツに由来する当時の楽天主義である。神が創造した以上この世界は最善であり、個々の悪も全体の調和のなかでは必要なのだ、という考え方だった。パングロスはその戯画にあたる。
刊行は1759年、匿名で行われた。ヴォルテールは自分の作ではないと否定し続けている。ジュネーヴやパリで発禁になったが、その年のうちに各地で版を重ねた。
文学史における評価と影響
「コント(哲学的物語)」という形式の代表作である。短く、荒唐無稽で、読みやすい。思想書では届かない読者に届き、検閲も通りやすい。深刻な主張を軽い物語に載せる戦術であり、ヴォルテールが繰り返し用いた方法だった。
方法の中心は皮肉である。正面から否定せず、対象の論理をそのまま拡大して馬鹿げて見せる。「すべては最善である」という命題を、地震と虐殺と奴隷制の傍らで登場人物に繰り返させる。読者は反論を読まされるのではなく、命題が現実に耐えないことを自分で見ることになる。
「外部の視点で世界を見る」装置も働いている。カンディードは世間知らずで、目にするものすべてに驚く。モンテスキューのペルシア人の手紙がパリを訪れたペルシア人の目を借りたのと、同じ手法である。当たり前を疑わせるために、それを知らない者の目を使う。
最後の「われわれは自分の畑を耕さねばならない」の解釈は定まっていない。世界の意味を論じるのをやめ、手の届く範囲で働けという意味に読むのが一般的だが、社会からの撤退を勧めているのか、実践への呼びかけなのかで議論が続いている。ヴォルテール自身は、この作品の後もカラス事件をはじめとする冤罪に介入し、公的な発言を続けた。
日本では明治期に紹介され、繰り返し訳されている。
あらすじ
カンディードは、ドイツの男爵の城で育った純朴な青年である。家庭教師のパングロス博士は、この世界は可能なあらゆる世界のうち最善であり、すべての出来事には最善の理由があると教えていた。
男爵の娘キュネゴンドと接吻したことで、カンディードは城を追い出される。徴兵され、鞭打たれ、戦場で虐殺を目にした。逃げた先のオランダで、梅毒に冒されて物乞いになったパングロスと再会する。城はブルガリア軍に襲われ、キュネゴンドは殺されたと聞かされた。
リスボンへ向かう船が難破し、上陸した日に大地震が起きる。数万人が死んだ。異端審問所は地震を鎮めるために火刑を執り行い、パングロスは絞首刑になり、カンディードは鞭打たれる。だがそこで、生きていたキュネゴンドと再会した。
二人は南米へ渡る。パラグアイでキュネゴンドの兄と再会するが、身分違いの結婚を認められず、カンディードは兄を刺してしまう。逃亡の途中、砂糖工場で片手と片脚を失った黒人奴隷に会う。ヨーロッパで砂糖を食べるためにこうなるのだ、と男は言う。
黄金郷エルドラドにたどり着く。そこでは金銀が石ころ同然に転がり、争いも僧侶も牢獄もない。カンディードは莫大な財宝を持って旅立つが、財宝は騙し取られ、次々に失われていく。
ヨーロッパへ戻る途中、悲観論者マルチンを道連れにする。ヴェネツィアでは、退屈しきった貴族に会った。カンディードはようやくキュネゴンドを見つけ出すが、彼女は苦労のために醜くなっていた。それでも約束どおり結婚する。
一行はコンスタンチノープル近郊に小さな農園を買った。パングロスは相変わらず、すべては最善だと論じ続ける。近くに住むトルコ人の老人は、政治の話には関わらず、四人の子と畑を耕しているだけだと語った。カンディードは言う。それはよく分かる。だがわれわれは自分の畑を耕さねばならない。