銀の時代のローマ文学 — セネカとタキトゥス

銀の時代は、アウグストゥスの死後14年から200年頃までを指す。

アウグストゥスの死後、帝政が制度として固まった。ここで言論の条件が変わる。

共和政期にはで公然と政敵を攻撃できた。黄金期には体制を讃える文学が栄えた。この時代の文学は、権力を正面から論じられない条件の下で書かれている。 その結果、二つの傾向が現れた。修辞の技巧が過剰なまでに発達することと、主題が暗く諷刺的になることである。

銀の時代の主な作品

作品成立作者種類
悲劇『メデア』ほか1世紀半ばセネカ悲劇
サテュリコン1世紀ペトロニウス小説の先駆
『内乱』65年頃ルカヌス叙事詩
『エピグランマタ』86〜103年マルティアリス
『弁論家の教育』95年頃クインティリアヌスの書
『諷刺詩』100〜130年頃ユウェナリス
年代記115年頃タキトゥス歴史叙述
自省録170年代マルクス・アウレリウス内省の記録(ギリシャ語)
黄金のろば2世紀アプレイウス小説

セネカは、思想と行動の矛盾を当時から指摘されていた

セネカは複合的な人物である。の哲学者であり、悲劇作家であり、ネロの家庭教師にして政治顧問であり、当代有数の富豪でもあった。

この経歴の矛盾は当時から指摘されていた。 富を軽んじよと説きながら莫大な財産を持ち、暴君を諫めながらその政権を支えた。思想と行動をどう評価するかは、今も議論が分かれる。

哲学の著作は書簡や論文の形式で、死をどう受け入れるか、怒りをどう制御するかといった実践的な主題を扱う。平明で断片的な文体は、後のエッセイの祖形とも見なされ、モンテーニュが繰り返し引用している。

悲劇では、ギリシャ悲劇と同じ題材を扱いながら、はるかに残酷で修辞的である。舞台での上演を前提としない朗読用だったとする説が有力である。

この悲劇がルネサンス期のヨーロッパ演劇に強い影響を与えた。 ギリシャ悲劇が本格的に読まれる前に、ラテン語のセネカが手本になったためである。復讐劇の型、亡霊の登場、独白の多用。シェイクスピアの初期の悲劇にもその痕跡がある。

65年、ネロへの陰謀に関与したとして自死を命じられた。その最期はタキトゥスが詳細に記録している。

タキトゥスは、非難を書かずに事実の配置で批判した

タキトゥス年代記は、ティベリウスからネロまでの帝政初期を扱う。

文体が特異である。極端に簡潔で、対称を崩し、予期しない語順で読者を立ち止まらせる。キケロの均整のとれた長文とは正反対で、意図的に不穏な文章になっている。

方法の核心は、行為の記述そのものが批判になるという点にある。直接の非難を書かず、事実を並べ、時に他人の噂として提示する。読者が判断せざるを得ない構造である。

「彼らは荒廃を作り出し、それを平和と呼ぶ」という趣旨の一句は、征服される側の首長の演説として書かれている。帝国の歴史家が、帝国を批判する言葉を敵の口に置いた。 後世の歴史叙述の模範とされ、近代の共和主義的な思想にも影響を与えている。

諷刺詩と、小説の先駆が現れた

ユウェナリスは諷刺詩でローマ社会を攻撃した。腐敗、成り上がり、外国人の流入、女性への嫌悪。「健全な精神は健全な身体に宿れかし」という有名な句も本来は諷刺の文脈にある(望むべきはそれだけだ、という趣旨)。「パンとサーカス」という句もこの詩人に由来し、民衆が食糧と見世物で政治への関心を失うことへの批判である。

マルティアリスは短い警句詩を完成させた。日常の観察、皮肉、下品な冗談。都市生活のスケッチとして読める。

散文では二つの作品が小説の先駆と呼ばれる。ペトロニウスサテュリコンは断片しか残っていないが、成り上がりの解放奴隷が開く豪華で悪趣味な宴会の場面が有名である。俗語を交えた話し言葉が記録されており、言語資料としても貴重である。作者はネロの側近で、やはり自死を命じられたとされる。

アプレイウス黄金のろばは、魔術に手を出してろばに変えられた男の遍歴を描く。古代の小説で完全な形で現存する唯一のラテン語作品である。中に挿入された「クピドとプシケ」の物語は、後の童話の型に影響した。

皇帝は、内面をラテン語ではなくギリシャ語で書いた

マルクス・アウレリウス自省録は、皇帝が自分のために書いた覚え書きである。公表を意図していない。

内容はストア派の実践で、死の受容、義務の遂行、他人への寛容が繰り返し自分に言い聞かせられる。

注目すべきは、ラテン語ではなくギリシャ語で書かれている点である。当時、哲学の言語はギリシャ語だった。ローマ皇帝が、内面を語るときに帝国の言語を使わなかったことになる。ラテン語とギリシャ語の役割分担が、この一点によく現れている。

銀の時代が残したのは、抑圧の下での批判の技法

中身
言論の条件権力を正面から論じられない。技巧と諷刺が発達した
思想と行動セネカの矛盾は当時から指摘され、評価は今も分かれる
批判の技法タキトゥスは非難を書かず、事実の配置で読者に判断させた
二言語の帝国皇帝が内面をギリシャ語で書いた

ローマ文学の他の時代