タキトゥス
- 原綴
- Publius Cornelius Tacitus
- 生没
- 56頃–120頃
- 出身
- 不明(ガリア北部か)
- 国
- ローマ
- 時代
- 銀の時代
生涯
56年頃の生まれとされる。出身地は分かっていない。ガリア北部(現在のフランス北部)ではないかと推測されている。良い教育を受け、法廷での弁論によって世に出た。
官職を順に昇り、97年にはに達している。この経歴の途中に、ドミティアヌス帝の恐怖政治の時代が挟まる。密告が奨励され、の議員が次々に処刑された十五年間である。タキトゥスはその只中を議員として生き延びた。生き延びたということは、皇帝に逆らわなかったということでもある。後年の歴史記述には、この体験と、それに伴う後ろめたさが影を落としている。
友人に小プリニウスがいた。往復書簡が残っており、そのなかでプリニウスはタキトゥスの弁論を絶賛している。ヴェスヴィオ火山の噴火を記録したあの二通も、タキトゥスに頼まれて書かれたものである。
政治の経歴と並行して、あるいはその後に、歴史の著述に打ち込んだ。まず短い作品を書き、次いで『歴史』年代記という二つの大著を著している。扱うのはネロとその前後の皇帝たちの時代で、いずれも自分が生まれる前後から自分の若い頃までにあたる。
120年頃に死去したと考えられている。晩年の様子は分かっていない。
作風
文章から余分な語がすべて削られている。接続詞を省き、対になる句を並べ、意表を突く語を選ぶ。同じことを二度言わない。短い一文に多くを詰め込むため、読むのに骨が折れる。ラテン語の散文のなかでも際立って個性の強い文体で、模倣は難しいとされてきた。
描かれるのは帝政初期の宮廷である。皇帝の猜疑、それに合わせて動く廷臣、密告と処刑、抵抗をやめた元老院。権力を持つことが人間をどう変えるかを、冷たく観察している。
人物の心理に踏み込むのが特徴である。皇帝ティベリウスが何を考えていたか、その言動の裏に何が隠れていたか。表向きの行動を記録するだけでなく、その動機を推し量って書く。事実の記録を超えた文学として読まれてきたのは、この部分による。
自ら「怒りもえこひいきもなく(sine ira et studio)」書くと宣言している。だが実際の記述は、帝政への批判で貫かれている。共和政の自由が失われたことへの痛みが、その根にある。
『ゲルマニア』ではローマの外に目を向けた。ライン川の向こう側に住むゲルマン人の風俗を記録した本で、その素朴さや家族の結びつきの強さを、贅沢に慣れたローマと対比して書いている。他民族の記録という形をとった、ローマ自身への批判にもなっている。
作品
『アグリコラ(De Vita Iulii Agricolae)』(98年頃)
義父アグリコラの伝記である。ブリタニア(現在のイギリス)総督を務めた人物で、恐怖政治のもとで有能に職務を果たしながら皇帝の疑いを買わずに済ませた。暴君の下でどう生きるべきかという問いが、この短い伝記の主題になっている。
『ゲルマニア(De Origine et Situ Germanorum)』(98年頃)
ゲルマン人の風俗を記録した民族誌である。
『歴史(Historiae)』
ネロの死後に起きた内乱からドミティアヌス帝までを扱う。大部分が失われ、冒頭の数巻しか残っていない。
代表作である。ティベリウスからネロまでを扱い、帝政初期の実態を描く。これも一部が失われている。ローマ大火とキリスト教徒への責任転嫁の記述はこの本にある。
『弁論家に関する対話(Dialogus de Oratoribus)』
なぜが衰えたのかを論じた作品である。自由に発言できる場が失われたことに理由を求めている。
日本語では年代記『ゲルマニア』などが読める。
文学史における立ち位置と影響
リウィウスと並ぶローマ最大の歴史家とされる。評価はしばしばリウィウスを上回る。
その文体は、ラテン散文の一つの頂点に数えられる。キケロの豊かな雄弁とも、カエサルの透明な簡潔さとも違う。緊張を保ったまま切り詰めるこの書き方は、後世が真似ようとして真似きれなかった。
権力を見る目が、後の時代に受け継がれた。ルネサンス以降、政治の実態を冷静に分析するための古典として読まれ、「タキトゥス主義」と呼ばれる読み方が生まれる。マキァヴェッリ以後の政治思想に影響を与え、専制を批判する側にとってはルカヌスと並ぶ拠り所になった。
『ゲルマニア』はその後、書き手の意図とかけ離れた読まれ方をした。近代ドイツで、ゲルマン人こそ純粋で強い民族だとする主張の根拠に使われ、20世紀にはナチスがこれを利用した。ローマ批判のために書かれた本が、千八百年後に民族の優越を説く材料になったことになる。書かれたものが時代によってどう読み替えられるかを示す例として、しばしば言及される。
日本での受容は、ローマ史・ローマ文学への関心のなかで進んだ。歴史書として、また鋭い散文として読まれている。