マルティアリス
- 原綴
- Marcus Valerius Martialis
- 生没
- 40頃–104頃
- 出身
- ビルビリス(ヒスパニア・現スペイン北東部サラゴサ近郊)
- 国
- ローマ
- 時代
- 銀の時代
生涯
40年頃、ヒスパニア(現在のスペイン)のビルビリスに生まれた。二十代でローマへ出た。
ローマでは有力者の援助を受けて暮らした。当時、詩を書いて生活するにはが要る。詩を書店で売って稼ぐという仕組みはまだなく、詩人は有力者に詩を献じ、その見返りに食事や金銭を受け取った。マルティアリスもそうやって三十年以上を過ごしている。
この暮らしの内実を、自分の詩に何度も書いた。夜明け前に起きて庇護者の家へ挨拶に行き、玄関で待って、わずかな施しを受け取って帰る。相手の機嫌を損ねれば何ももらえない。詩人の名声と、この屈従とが同居していた。
次々に詩集を出し、ローマで最も読まれる詩人になった。皇帝ドミティアヌスにも詩を献じて目をかけられている。だがその皇帝が96年に暗殺され、恐怖政治を批判する空気が広がると、皇帝を称えた詩を書いていたマルティアリスの立場は微妙になった。
まもなく故郷のヒスパニアへ帰った。裕福な女性の援助で小さな地所を得て、そこで暮らしている。ただし都の生活を懐かしむ詩も残しており、田舎の静けさに満足しきってはいなかったらしい。104年頃、故郷で死去した。
作風
は、もとは墓石や奉納品に刻む短い文句だった。数行で用が足りる実用の文である。マルティアリスはこれを、それだけで読ませる詩の形式に作り変えた。
多くの詩が、最後の一行で話をひっくり返す形をとる。前半で状況を述べ、読者がそのつもりで読み進めたところで、結びの一行が予想を裏切る。日本語で「寸鉄詩」と訳されるのは、この切れ味による。
扱う対象に制限がない。金持ちと貧乏人、詐欺師と俗物、医者、弁護士、教師、剣闘士。宴会、公衆浴場、見世物、朝の挨拶回り。当時のローマで目にするものが、ほぼすべて詩になっている。「私の詩は人間の匂いがする」と自ら書いた。神話や英雄を歌う詩が正統とされていた時代に、目の前の生活のほうを選んだことになる。
諷刺は鋭いが、怒ってはいない。人間の欠点をあげつらいながら、笑いに落とす。同じ時代のユウェナリスが道徳的な憤りをぶつけたのとは対照的で、マルティアリスは腹を立てるかわりに面白がる。内容が猥雑で露骨になることも多い。
一方で、静かな詩も書いた。友情、亡くなった人への哀悼、故郷への思い。幼くして死んだ少女を悼む一篇は、その細やかさによって古来よく知られている。同じ詩人が、下品な冗談と、こうした詩とを並べて一冊に収めた。
作品
『エピグラム集(Epigrammata)』
代表作である。全12巻に千五百篇を超える詩を収める。80年代から死の直前まで、巻ごとに刊行された。
一篇はたいてい二行から十行ほどで終わる。どこから読んでも構わないし、途中でやめても構わない。長い作品を読み通す構えを必要としない。
ほかに『見世物の書(Liber Spectaculorum)』がある。80年のコロッセウム落成を記念する見世物を詠んだもので、初期の作品にあたる。贈り物に添える短い詩を集めた詩集も残っている。
日本語では抄訳がある。全篇の訳はない。
文学史における立ち位置と影響
エピグラムという詩の形を、今日知られている形に定めた詩人である。短く、機知が効いていて、最後にひねりがある。この型はマルティアリスが作った。ルネサンス以降ヨーロッパ各国で書かれたエピグラムは、いずれもここに手本を求めている。
影響がとくに大きいのは英詩である。17世紀イギリスの詩人ベン・ジョンソンがマルティアリスに倣ってエピグラムを書き、以後、機知の効いた短い風刺詩が英詩の一つの系譜になった。
歴史の資料としての価値も高い。帝政期ローマの庶民が何を食べ、どんな仕事に就き、何に金を払っていたか。こうしたことは歴史書には書かれない。マルティアリスの詩は、それを一篇ずつ具体的に伝えている。理想化されていないぶん、資料としては信頼できる。
同時代のユウェナリスとは親しかったと考えられている。二人とも帝政期ローマの社会を諷刺したが、方法は正反対だった。ユウェナリスは長い詩で怒り、マルティアリスは短い詩で笑う。この対比は、後世が諷刺を語るときの型になった。
日本での受容は、ローマ詩の研究のなかで進んだ。エピグラムの名手として名が知られている。