後期古代のローマ文学 — アウグスティヌスとウルガタ訳聖書

後期古代は200年頃から600年頃までを指す。この時代に、ラテン語が誰のものかが変わった。

313年にキリスト教が公認され、392年には事実上の国教になる。それまで異教の文化を担っていたラテン語が、教会の言語になった。 そして476年、西ローマ帝国が滅びる。にもかかわらずラテン語は死ななかった。その理由がこの時代に作られる。

古典の教養は異教のものだ、という葛藤があった

初期のキリスト教徒には葛藤があった。ウェルギリウスキケロも、キリスト教以前の世界の産物である。その文体で信仰を語ってよいのか。

ヒエロニムスは夢の中で、お前はキケロ主義者であってキリスト教徒ではない、と責められた、という有名な記述を残している。この問題は当人たちにとって切実だった。

だが結果として、両者は融合した。古典の修辞学の訓練を受けた人々が、その技術でキリスト教を論じる。信仰の内容を書き記して後世の基準となった人々をと呼ぶ。この融合が、以後千年のヨーロッパの知的様式を決めた。

後期古代の主な作品

作品成立作者種類
ウルガタ訳聖書382〜405年ヒエロニムス聖書のラテン語訳
告白397〜400年アウグスティヌス自伝
神の国413〜426年アウグスティヌス神学・歴史哲学
哲学の慰め524年頃ボエティウス哲学

ヒエロニムスの訳が、千年以上の標準聖書になった

ヒエロニムスは聖書をラテン語に翻訳した。ウルガタ訳と呼ばれる。

重要なのは翻訳の方針である。ヘブライ語の原典に立ち返り、逐語訳ではなく意味の訳を採った。翻訳論としても参照され続けている。

この訳が、以後千年以上にわたって西ヨーロッパの標準的な聖書になった。一つの翻訳がこれほど長く一つの文明の土台であり続けた例は少ない。 中世の文学作品に現れる聖書の言い回しは、ほぼすべてこの訳を経由している。

アウグスティヌスは、自分について書く形式を作った

アウグスティヌス告白は、ヨーロッパにおける自伝の出発点とされる。

形式が独特である。神に向かって語りかけるという体裁で、自分の過去の罪——盗み、性的な放縦、異端への傾倒——を告白していく。読者ではなく神が宛先である。

内容には、内面の観察が異例の精度で書かれている。なぜ自分は悪いと知りながら悪をなすのか。時間とは何か。記憶とはどこにあるのか。近代の心理的な自己分析の祖形と見なされる。

この形式は千三百年後に世俗化して戻ってくる。ルソー告白(1782年)を書いたとき、同じ題名を意識的に選んでいる。ただしルソーの宛先は神ではなく読者であり、神への告白から人間への告白へという転換がそこにある。

神の国は、410年のローマ略奪を受けて書かれた。キリスト教のせいでローマが滅んだという非難への反論であり、地上の国と神の国を区別する歴史哲学を提示している。中世の政治思想の枠組みになった。

ボエティウスは、獄中でキリスト教に触れずに慰めを求めた

ボエティウスは東ゴート王テオドリックに仕えた高官だったが、反逆の疑いで投獄され、処刑された。

獄中で書いたのが哲学の慰めである。擬人化された「哲学」が現れ、絶望する著者と対話し、運命と幸福と神の摂理について論じる。散文と韻文が交互に来る形式をとる。

注目すべきは、この書物にキリスト教への言及がほとんどないことである。著者はキリスト教徒だったが、慰めを与えるのは古代のギリシャ哲学である。この点をどう解釈するかは長く論じられてきた。

ボエティウスはまた、ギリシャ哲学の著作をラテン語に翻訳する計画を持っていた。処刑によって未完に終わったが、訳した分が中世前期のヨーロッパにおけるアリストテレス理解の唯一の窓口になっている。哲学の慰めは中世を通じて最も広く読まれた書物の一つになり、チョーサーが英語に訳し、エリザベス1世も訳している。

後期古代が残したのは、キリスト教とラテン語の結合

中身
教養の衝突と融合古典の修辞でキリスト教を語る様式が、千年の知的枠組みになった
翻訳の力ウルガタ訳が千年以上、西欧の標準聖書であり続けた
自伝の誕生アウグスティヌスの形式が、千三百年後にジャン=ジャック・ルソーで世俗化する
橋渡しボエティウスの翻訳が中世のアリストテレス理解を支えた

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