ローマ後期古代

ローマ文学 後期古代

通史では、この時代を「キリスト教とラテン語」と要約した。ここではその中身を開く。

この時代に、ラテン語が誰のものかが変わる。

三一三年にキリスト教が公認され、三九二年には事実上の国教になった。それまで異教の文化を担っていたラテン語が、教会の言語になる。

そして四七六年、西ローマ帝国が滅びる。にもかかわらずラテン語は死ななかった。 その理由がこの時代に作られる。

教養の衝突

初期のキリスト教徒には葛藤があった。古典の教養は異教のものである。 ウェルギリウスもキケロも、キリスト教以前の世界の産物である。

ヒエロニムスは夢の中で「お前はキケロ主義者であってキリスト教徒ではない」と責められた、という有名な記述を残している。古典の文体で信仰を語ってよいのかという問題が、当人たちにとって切実だった。

だが結果として、両者は融合した。 古典の修辞学の訓練を受けた人々が、その技術でキリスト教を論じた。この融合が、以後千年のヨーロッパの知的様式を決める。

ヒエロニムス — 聖書をラテン語にする

ヒエロニムスは聖書をラテン語に翻訳した。ウルガタ訳と呼ばれる。

重要なのは翻訳の方針である。彼はヘブライ語原典に立ち返り、逐語訳ではなく意味の訳を採った。翻訳論としても参照され続けている。

この訳が、以後千年以上にわたって西ヨーロッパの標準的な聖書になった。 一つの翻訳が、これほど長く一つの文明の土台であり続けた例は少ない。中世の文学作品に現れる聖書の言い回しは、ほぼすべてこの訳を経由している。

アウグスティヌス — 自分について書く形式の発明

アウグスティヌス告白(告白)は、ヨーロッパにおける自伝の出発点とされる。

形式が独特である。神に向かって語りかけるという体裁で、自分の過去の罪——盗み、性的な放縦、異端への傾倒——を告白していく。読者ではなく神が宛先である。

内容には、内面の観察が異例の精度で書かれている。なぜ自分は悪いと知りながら悪をなすのか。時間とは何か。記憶とはどこにあるのか。近代の心理的な自己分析の祖形と見なされる。

この形式は千三百年後に世俗化して戻ってくる。 ジャン=ジャック・ルソーが『告白』(一七八二年)を書いたとき、同じ題名を意識的に選んでいる。ただしルソーの宛先は神ではなく読者であり、神への告白から人間への告白へという転換がそこにある。

神の国(神の国)は、四一〇年のローマ略奪を受けて書かれた。キリスト教のせいでローマが滅んだという非難への反論であり、地上の国と神の国を区別する歴史哲学を提示した。中世の政治思想の枠組みになる。

ボエティウス — 古代と中世の橋

ボエティウスは東ゴート王テオドリックに仕えた高官だったが、反逆の疑いで投獄され、処刑された。

獄中で書いたのが哲学の慰め(哲学の慰め)である。擬人化された「哲学」が現れ、絶望する著者と対話し、運命と幸福と神の摂理について論じる。散文と韻文が交互に来る形式をとる。

注目すべきは、この書物にキリスト教への言及がほとんどないことである。著者はキリスト教徒だったが、慰めを与えるのは古代のギリシャ哲学である。この点をどう解釈するかは長く論じられてきた。

彼はまた、ギリシャ哲学の著作をラテン語に翻訳する計画を持っていた。処刑によって未完に終わったが、訳した分が中世前期のヨーロッパにおけるアリストテレス理解の唯一の窓口になった。

哲学の慰め中世を通じて最も広く読まれた書物の一つになる。ジェフリー・チョーサーが英語に訳し、エリザベス一世も訳している。

この時代をどう読むか

中身
教養の衝突と融合古典の修辞でキリスト教を語る様式が、千年の知的枠組みになった
翻訳の力ウルガタ訳が千年以上、西欧の標準聖書であり続けた
自伝の誕生アウグスティヌスの形式が、千三百年後にジャン=ジャック・ルソーで世俗化する
橋渡しボエティウスの翻訳が中世のアリストテレス理解を支えた

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