ローマ文学 共和政期
通史では、この時代を「ギリシャを取り込む」と要約した。ここではその中身を開く。
ローマ文学は翻訳から始まったという点で、他の文学史と出発点が違う。前三世紀、リウィウス・アンドロニクスという解放奴隷がオデュッセイアをラテン語に訳した。これが最初期のラテン文学とされる。
圧倒的な先行者がいる状態から始めるというのが、この文学の基本条件である。ローマの書き手はそれを自覚しており、作品の中で繰り返し言及している。
喜劇 — 翻案から独自へ
最初に成熟したのは喜劇だった。素材はメナンドロスらギリシャの新喜劇である。
プラウトゥスは筋を借りながら、大幅に作り変えた。 歌の場面を増やし、脱線を入れ、ローマの観客に通じる冗談を差し込む。奴隷が主人を出し抜く趣向が多く、当時の社会では実現しない逆転が舞台で演じられた。
テレンティウスはより洗練された文体で書いた。教養層に評価される一方、興行としては苦戦したとされる。彼の「私は人間である。人間に関わることで自分に無縁なものはない」という一句は、後にルネサンス人文主義の標語のように引かれた。
この二人の喜劇は、ルネサンス以降のヨーロッパ演劇に受け継がれる。ウィリアム・シェイクスピアの『間違いの喜劇』はプラウトゥスの翻案であり、モリエールも同じ系譜にある。
散文 — キケロがラテン語を作った
キケロの位置は特別である。ラテン語散文の規範を作ったと言ってよい。
弁論家として法廷と元老院で語り、その原稿を公刊した。加えて書簡、哲学的対話篇、修辞学の理論書を膨大に残している。
彼の文体の特徴は、長い複文を破綻なく構築する点にある。従属節を積み重ね、最後に主節で締める。この構文が「正しいラテン語」の基準になった。
影響は千五百年続いた。ルネサンスの人文主義者はキケロを模範とし、キケロの語彙以外を使わないことを規律とする者さえいた(キケロ主義)。エラスムスがこれを行き過ぎとして風刺している。
哲学の面では、ギリシャ哲学をラテン語に移す作業を行った。多くの哲学用語がこのとき作られ、ヨーロッパ諸語に受け継がれている。
政治的には共和政の擁護者で、アントニウスを弾劾した結果、前四三年に殺害された。
カエサルのガリア戦記は対照的な文体である。簡潔で、修飾が少なく、三人称で自分を語る。 遠征の報告書という体裁だが、自己の行動を正当化する政治的な文書でもある。ラテン語入門の教材として長く使われてきた。
サッルスティウスは歴史叙述で、トゥキュディデスの影響を受けた簡潔で切り詰めた文体を作った。
詩 — 哲学と、個人の感情
ルクレティウスの物の本質については、エピクロス派の原子論を詩の形式で説いた長篇である。
主張は徹底している。世界は原子の運動であり、魂も原子でできていて死ねば散る。したがって死後の罰を恐れる必要はなく、宗教こそが人を不幸にする。 この論をラテン語の韻文で展開した。
科学的な内容を詩で書くという形式は、当時としては異例ではないが、規模と完成度で突出している。ルネサンス期に写本が再発見され、近代の思想に影響を与えた。
カトゥルスはまったく別の方向へ行った。扱うのは個人の感情である。レスビアと呼ばれる女性への愛と憎しみ、友人への罵倒、日常の些事。
「憎み、そして愛する」という趣旨の二行詩が知られている。相反する感情が同時にあることを、説明せずにそのまま提示する。
彼らは新詩人と呼ばれ、カリマコスらヘレニズムの詩学——長大な叙事詩より短く磨かれた詩を——を受け継いでいる。ギリシャの論争がそのままローマへ持ち込まれたことになる。
この時代をどう読むか
| 中身 | |
|---|---|
| 翻訳から始まる | 最初のラテン文学はオデュッセイアの翻訳だった |
| 翻案の創造性 | ギリシャ喜劇を作り変え、そこから西洋喜劇の系譜が続く |
| 散文の規範 | キケロの文体が千五百年「正しいラテン語」であり続けた |
| 詩の二方向 | 哲学を説くルクレティウスと、個人の感情を書くカトゥルス |
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