サッルスティウス
- 原綴
- Gaius Sallustius Crispus
- 生没
- 前86–前35
- 出身
- アミテルヌム(中部イタリア・現ラツィオ州)
- 国
- ローマ
- 時代
- 共和政期
生涯
前86年、中部イタリアのアミテルヌムに生まれた。のローマが内乱に揺れ、やがて崩壊へ向かう時期にあたる。
政治家として身を立てた。などを務めたが、政争のなかで一度はを追われている。ユリウスカエサルの派に属し、その内戦を支援した。この功により、カエサルからアフリカの総督に任じられる。
だが総督時代に、属州で不正な蓄財を行ったとして告発された。実際、莫大な財産を築いている。その富でローマ市内に造った庭園は、後世まで「サッルスティウスの庭園」の名で残った。カエサルの庇護によって処罰は免れたようだが、政治家としての経歴には汚点が残る。
前44年にカエサルが暗殺されると、政界から退いた。以後は隠棲して著述に専念する。清廉とは言いがたい経歴を持つ人物が、共和政の道徳的な退廃を糾弾する歴史を書いた。この対照は古来しばしば指摘されてきた。前35年頃に死去した。
作風
サッルスティウスが繰り返し問うたのは、かつてローマを強くした美徳がなぜ失われたか、である。勇気、質朴、公共への献身。それらが党派の争いと私欲に取って代わられた過程として、共和政の崩壊を捉えた。
叙述の方法にも特徴がある。ローマの通史を書くのではなく、特定の事件を一つ選んで深く掘り下げる。カティリナの陰謀、あるいはユグルタとの戦争。一つの主題に絞ったこの形式をモノグラフと呼ぶが、これをローマの歴史叙述に持ち込んだのがサッルスティウスだった。
人物の描き方が鋭い。『カティリナの陰謀』の首謀者カティリナの造形はその代表である。名門に生まれながら借金に追われ、野心と破滅願望をないまぜにして国家転覆に走る。悪をこれほど力のあるものとして描いた例は、それまでのローマの歴史書にない。
文体は当時の水準から見ると異様だった。極端に短く、語を切り詰め、古語を好んで用いる。均整のとれたなめらかな文章をあえて避け、非対称でぎこちない言い回しを選ぶ。同時代のキケロが長い文を構造化して積み上げる流麗な散文を書いていたのに対し、その正反対を行った。
登場人物に長い演説を語らせる手法も多用する。その多くはサッルスティウス自身の創作だが、演説を対置することで、時代の対立と、それぞれの立場の論理が明確になる。
作品
『カティリナの陰謀(Bellum Catilinae / De coniuratione Catilinae)』
前63年に起きた国家転覆の未遂事件を扱う。キケロがとしてこれを摘発した、あの事件である。陰謀そのものより、そうした陰謀が成り立ってしまう社会の腐敗のほうに、記述の重心がある。
『ユグルタ戦争(Bellum Iugurthinum)』
北アフリカのヌミディア王ユグルタとの戦争(前111-前105年)を描く。ユグルタがローマの有力者を次々に買収していく過程を通じて、元老院貴族の腐敗を暴いた。
『歴史(Historiae)』
前78年以降を扱う大部の通史だったが、断片しか残っていない。
日本語では『カティリナの陰謀』『ユグルタ戦争』の訳がある。いずれも分量は小さく、あわせて一冊に収まる。
文学史における立ち位置と影響
ローマの歴史叙述を、出来事を年ごとに並べる年代記から、原因を分析する歴史へ変えた。ローマ最初の本格的な歴史家とされるのは、この点による。
歴史を道徳の盛衰として読む視点は、後のリウィウスに受け継がれた。かつての美徳が失われたことを嘆く、という主題は、以後ローマの歴史叙述の一つの型になる。
文体の面での影響はさらに大きい。切り詰められた鋭い散文はタキトゥスがそのまま引き継いだ。キケロ流の流麗な雄弁とは別に、簡潔さを追求する系譜がローマ散文に生まれ、タキトゥスの凝縮された暗い文体はここに源を持つ。
一つの事件を掘り下げるモノグラフの形式も、後世の歴史叙述に一つの型を与えた。
ルネサンス以降、その著作は政治的な教訓の書として広く読まれた。共和政がいかにして腐敗したかという記述は、都市国家の興亡を目の当たりにしていたイタリアの読者に切実だった。カティリナという悪の人物像も、後の文学に素材を提供している。
政治家としての汚点を持つ者が道徳を説いた、という対照は繰り返し論じられてきた。ただし、腐敗の内側を知る者だからこそ書けた記述だという評価もある。
日本での受容は、ローマ史・ローマ文学の研究のなかで進んだ。