テレンティウス
- 原綴
- Publius Terentius Afer
- 生没
- 前195頃–前159頃
- 出身
- カルタゴ(現・チュニジア北部)
- 国
- ローマ
- 時代
- 共和政期
生涯
前195年頃、北アフリカのカルタゴに生まれたと伝えられる。その姓「アフェル」は「アフリカ人」という意味である。
若くして奴隷としてローマへ連れて来られた。当時のローマでは、戦争で捕らえた人々を奴隷として働かせることが当たり前だった。だが主人はこの少年の才能を見抜き、教育を与え、後に自由の身にしている。奴隷から身を起こして作家になった例は、ほとんどない。
解放されると、まだ二十歳前後で喜劇を書き始めた。当時の有力な貴族たちが集まる文芸のサークルに迎えられ、その支援を受けている。あまりに洗練された作品なので、若い作家が一人で書けるはずがない、実は貴族たちが代作しているのではないか——そんな噂まで立った。
十年ほどのあいだに6本の喜劇を書いた。だが生涯は短い。前159年頃、ギリシャへの旅の途中か、その帰りに死んだと伝えられる。三十代半ばだった。船が難破したとも、翻訳の原稿を失って病んだとも言われるが、確かなことは分からない。
作風
テレンティウスの喜劇は、笑わせることより、人と人の関係を丁寧に描くことに重心がある。
同じローマの喜劇でも、少し前の世代のプラウトゥスとは方向が逆である。プラウトゥスは、ずる賢い召使いや、けちな老人といった、誰が見ても分かる型どおりの人物を出し、どたばたと騒がしい笑いを作った。テレンティウスはそれをしない。声を張らず、上品で、抑えた調子で書く。
登場する人物も、型ではなく、実際にいそうな人間である。内面を持ち、悩み、考えを変える。とくに親子の関係が繰り返し扱われた。厳しく育てるべきか、自由にさせるべきか。子育ての方針をめぐって対立する父親たち。放蕩する息子と、それをどう扱えばいいか分からない親。家庭のなかのこうした地味だが切実な問題が劇の中心に置かれる。
有名な一行がある。「私は人間である。人間に関することで、私に無縁なものは何もない」。ある登場人物の台詞である。隣人の家庭の悩みに口を出すのを咎められて、こう答える。人間のすることなら、何であれ自分に関係がないとは言えない、という意味になる。
文章そのものも評価が高い。難しい言い回しを使わず、明晰で無駄がなく、それでいて品がある。この文体が、後に思わぬ意味を持つことになる。
作品
6本の喜劇がすべて残っている。いずれも、それより百年ほど前のギリシャの喜劇——とくにメナンドロスという作家の作品——を下敷きにしている。
『アンドロスの女(Andria)』(前166年)
最初の作品にあたる。
『宦官(Eunuchus)』(前161年)
当時最も成功した。
『兄弟(Adelphoe)』(前160年)
代表作である。二人の父親が、それぞれ違う方針で息子を育てる。一方は厳しく、一方は甘く。どちらの育て方が正しかったのか、劇は簡単には答えを出さない。子育てをめぐるこの劇は、二千年以上たった今も上演されている。
ほかに『自虐者(Heauton Timorumenos)』『義母(Hecyra)』『ポルミオ(Phormio)』がある。「私は人間である……」の台詞は『自虐者』にある。
日本語では喜劇集の訳がある。一本ずつは短く、数十ページで読める。
文学史における立ち位置と影響
プラウトゥスとともに、ローマの喜劇を代表する。この二人の作品が、古代の風俗を描いた喜劇のほぼすべてであり、下敷きにしたギリシャの喜劇が断片しか残っていないため、後世はこの二人を通してしか古代の喜劇を知ることができなかった。
その明晰なラテン語は、思わぬ形で命を長らえさせた。中世のヨーロッパでは、学問も宗教もラテン語で行われる。だがそれは日常の言葉ではないから、学校で習うしかない。そのとき、良いラテン語の手本として使われたのがテレンティウスだった。異教の時代の喜劇でありながら、キリスト教の修道院や学校で、文法の教材として読み継がれたのである。10世紀のドイツには、この文体をまねてキリスト教的な劇を書いた修道女ロスヴィータもいる。
心理を丁寧に描く喜劇の系譜も、ここに始まる。17世紀フランスのモリエールは、プラウトゥスとテレンティウスの両方から学んだ。人物の性格を描くことで笑いを作る喜劇の伝統は、テレンティウスに多くを負っている。
「私は人間である……」の一句は、後の時代に思想の標語になった。15〜16世紀のヨーロッパで、人間の営みそのものを研究の対象にしようとする動きが起きる。この立場を人文主義と呼ぶが、その精神をこの一行が代弁した。モンテーニュも好んで引用している。
奴隷から身を起こしたという経歴も、繰り返し語られてきた。
日本での受容は、ローマ喜劇の研究のなかで進んだ。西洋の喜劇の源流として位置づけられている。