魔の沼

原題
La Mare au diable
作者
ジョルジュ・サンド
成立
1846
フランス
時代
19世紀

概要

1846年に刊行された中篇小説である。日本語訳で百五十ページ前後の短さで、サンドの田園小説を代表する。

田園小説とは、サンドが1840年代半ばから書いた一連の作品を指す。舞台はいずれも故郷のベリー地方——パリの南、フランスのほぼ中央にあたる農業地帯である。登場人物は農民で、都市も社交界も出てこない。

筋は簡単である。妻を亡くした二十八歳の農夫ジェルマンが、義父の勧めで再婚相手を見に行く。その道中に、幼い長男と、奉公に出る十六歳の娘マリーが加わる。三人は途中で道に迷い、沼のほとりで一夜を過ごす。

作品には枠がある。冒頭で語り手が、ある版画を見て考えたことを述べ、そこから物語に入る。末尾には、ベリー地方の婚礼の風習を記録した付録が付く。

サンドは本名をオーロール・デュパンといい、1804年パリに生まれた。父方の家は貴族、母は鳥商の娘で、幼少期はベリー地方ノアンにある祖母の館で育っている。ノアンの土地はサンドが相続し、生涯の拠点になった。作品の舞台はこの周辺である。

田園小説に向かう前、サンドはアンディアナなどで結婚制度と女性の従属を扱う小説を書いていた。1840年代には社会主義の思想家と交わり、労働者の詩人を支援している。農民を主人公にした小説は、その関心の延長にある。

執筆は1846年で、四日ほどで書き上げたとサンド自身が述べている。同じ年に『捨て子フランソワ』、1848年の二月革命の後に愛の妖精が続く。この三作をまとめて田園小説と呼ぶ。

サンドは序文で執筆の意図を述べている。農民の生活の悲惨を告発する書き方に反対し、民衆に読んでもらえるものを書きたい、と記した。ただし作品には、農民の言葉づかいをそのまま写した部分と、語り手の標準的なフランス語とが混在しており、サンド自身がこの扱いに悩んだことを書き残している。

文学史における評価と影響

19世紀のフランス小説の多くはパリを舞台にした。バルザックは金と野心を、スタンダールは上昇の意志を扱う。サンドはそこから離れ、農村と農民を主題に据えた。同じ時期に農村を書いたバルザックの『農民』が、農民を狡猾で貪欲な存在として描いたのに対し、サンドの農民は誠実で慎み深い。

この理想化は当初から指摘されてきた。作中の農民は貧しいが、飢えも借金も出てこない。1840年代のベリー地方の実態とは隔たりがある。サンド自身、告発ではなく慰めを書くと明言しており、それを承知の選択だった。

一方で、農民を無知な存在として扱わない点は新しかった。マリーは求婚を断るとき、自分の立場が村でどう見られるかを的確に説明する。判断を下せる人物として書かれている。

婚礼の風習を付録として記録したことも注目される。当時ベリー地方には三日がかりの婚礼の儀式が残っており、サンドはその手順と歌を書き留めた。19世紀半ばの民俗資料として扱われることがある。

あらすじ

冒頭で語り手が、16世紀の版画「死と農夫」について述べる。骸骨が農夫の畑に鞭をふるっている図で、労働は罰だという見方が示されている。語り手はこれに反対し、自分は畑を耕す農夫を見て別のことを考えると言う。そこから物語が始まる。

農夫ジェルマンは二十八歳で、妻を亡くして二年になる。三人の子は亡妻の両親のもとで育っている。義父モーリスは、家のためにも再婚するよう勧め、隣村の裕福な寡婦カトリーヌ・ゲランを訪ねてみろと言う。ジェルマンは気が進まないまま承知する。

出発の日、隣家のマリーが同行することになる。十六歳で、家が貧しく、同じ方角の農場へ牛飼いの奉公に出るところだった。ジェルマンは自分の灰色の馬にマリーを乗せる。

出立してから、長男のプティ・ピエールが父を追ってきていたことが分かる。連れ戻す時間がなく、三人で行くことになる。

日が暮れ、霧が出る。馬は同じ場所を回り、一行は道に迷う。たどり着いたのが魔の沼と呼ばれる場所で、村では夜にここを通ると迷わされると言われている。三人は火を焚き、そこで夜を明かすことにする。

マリーはプティ・ピエールを寝かしつけ、火の番をする。ジェルマンは、この娘が自分の子をあやす様子を見ている。夜のあいだにマリーは自分の暮らしを話す。ジェルマンは求婚するが、マリーは断る。年が違いすぎるし、貧しい自分がそんな話を受けたら、村で財産目当てだと言われる。

朝になって霧が晴れると、一行は目的地のすぐ近くにいたことが分かる。

ジェルマンは寡婦カトリーヌを訪ねる。家には三人の男が同時に来ており、カトリーヌは全員を引き止めて品定めしている。ジェルマンは長居せずに帰る。

一方マリーは、奉公先の農場主に言い寄られ、断って逃げ出す。プティ・ピエールを連れて戻る途中でジェルマンと出会う。ジェルマンは農場主のところへ行って殴りかかろうとするが、マリーが止める。

三人は村に戻る。ジェルマンは以後、義父にも誰にも何も言わない。マリーも黙っている。

数か月後、プティ・ピエールが、マリーを母さんにしてほしいと言い出す。義父モーリスはとうに事情を察しており、身分の差を問題にしない。二人は結婚する。

作者

登場する文学史