世阿弥

原綴
Zeami
生没
1363頃–1443頃
出身
大和国(現・奈良県)
日本
時代
中世

生涯

1363年ごろ、大和(現在の奈良県)の猿楽の家に生まれた。父は観阿弥。猿楽は当時、寺社の祭礼などで演じられる大衆的な芸能で、身分の高いものではなかった。

12歳のころ、父とともに演じた舞台を将軍足利義満が見て、以後、父子は幕府の庇護を受けることになる。この庇護のもとで、猿楽は洗練された舞台芸術へと高められた。世阿弥自身も少年時代から義満に寵愛され、貴族社会の教養に触れている。

父の死後、その芸と一座を継いだ。だが義満が没すると状況は変わる。次の将軍義持は別の役者を好み、さらに義教の代には冷遇が決定的になった。長男の元雅が早世し、後継とみなしていた甥の音阿弥が幕府に重用される一方で、世阿弥自身は1434年、70代で佐渡に流された。赦免されたかどうかも含め、晩年の消息ははっきりしない。1443年ごろに没したとされる。

作風

能は、動きを極端に切り詰めた演劇である。死者の霊が現れて過去を語り、舞い、消えていく。面は表情を変えず、所作は様式化されている。見る側が想像で補うことを前提にした形式であり、この美意識を「幽玄」と呼ぶ。世阿弥はこの方向を理論と実作の両面で確立した。

作品の型としては「夢幻能」を完成させた。旅の僧などがある土地を訪れると、土地の者が現れて昔の話をする。その者が実はその物語の当人の霊であり、後半で本来の姿を現して舞い、消える。現在と過去、生者と死者が一つの舞台で重なる構造である。

理論の面では、演技を具体的な技術として記述した。年齢に応じた稽古の方法、観客の質による演じ分け、そして「花」——観客を感動させる力——をどう保つか。「秘すれば花なり」という有名な句も、意外性がなくなれば感動も消えるという趣旨で、演出論として述べられている。神秘的な箴言としてではなく、実践的な技術論として読むのが本来の文脈である。

作品

風姿花伝(1400年頃)

代表作である。演技と稽古の理論書で、当初は一子相伝の秘伝として非公開だった。広く知られるようになるのは明治末、写本が発見されてからである。理論書だが記述が具体的で、年齢別の稽古論などは芸事一般の教えとしても読める。

花鏡(1424年)

後年の理論書で、より高度な段階の芸を論じる。

謡曲では『高砂』『井筒』『実盛』などに、世阿弥作とする伝承がある。ただし能の台本の作者は確定しにくく、伝承のとおりとは限らない。

文学史における立ち位置と影響

世阿弥は、実演者自身が演技の理論を書き残した例として、世界の演劇史でも早い部類に入る。ヨーロッパで演劇論が体系化されるのはフランス古典主義の17世紀であり、二百年以上の開きがある。

能そのものは中世に成立し、以後六百年以上にわたって上演形態を保ちながら継承されてきた。現存する演劇の様式として、世界的にも古い部類に入る。

20世紀に入ると、能は海外の演劇にも影響を与えた。詩人エズラ・パウンドとアーネスト・フェノロサによる英訳を通じてイェイツが能を知り、その様式を取り入れた劇を書いている。三島由紀夫近代能楽集は、能の主題を現代劇に翻案したものである。

風姿花伝は、演劇論の枠を超えて読まれてもいる。修練の段階論や、慢心への戒めが具体的に書かれているため、芸道書として、また現代では組織論や教育論の文脈でも参照される。

作品

登場する文学史