風姿花伝
- 作者
- 世阿弥
- 成立
- 1400頃
- 国
- 日本
- 時代
- 中世
概要
芸を教えるための実務書である。息子に伝えるために書かれた。外に出すことを禁じており、実際に六百年近く世に出なかった。 一般に公開されたのは1909年、明治末である。
内容は、能をどう稽古し、どう演じ、どうすれば客に受けるかにあたる。
冒頭は年齢別の稽古の指示である。七歳のときは何をさせるか、十二、三歳ではどうか、二十四、五歳、三十四、五歳、四十四、五歳、そして五十を過ぎたらどうするか。年齢ごとに、伸びる時期と落ちる時期がはっきり書かれている。
中心にあるのが「花」という語である。客が面白いと感じる状態を、世阿弥は花と呼ぶ。ここでこの本は独特の主張をする。
若さの魅力は、本物の花ではない。十二、三歳の子が何をやっても可愛く見え、二十代の役者が声も体も冴えて上手く見える。だがそれは年齢が咲かせている花で、時期が過ぎれば必ず散る。 それを自分の実力だと思った者は、そこで終わる。
本物の花は、年齢が去った後に残るものである。そのためには、若いうちに得た評判を疑い、稽古を積んでおく必要がある。「珍しきが花」——客が珍しいと感じることが面白さの正体であり、同じことを繰り返せば飽きられる。
もう一つの主張が「秘すれば花」である。隠しているから効果がある。手の内を明かせば、同じ演技でも効かなくなる。この本自体が秘伝とされたのは、その理屈の実行にあたる。
書いたのは世阿弥で、1400年前後から書き継がれた。父の観阿弥の教えを記録する形をとっている。
文学史における評価と影響
日本で最も早い、体系だった芸術論とされる。
同時に、これは理論のための理論ではない。世阿弥は現役の役者であり、一座の経営者だった。客が入らなければ食えない。この本には、地方の客と都の客では受けるものが違うこと、他の一座と競演するときの立ち回り、上手くいかない日にどうするかまで書かれている。芸術論と商売の指南が同じ本に同居している。
「花」の考え方が最大の遺産にあたる。美を、作品の側の性質ではなく、客の心に起きる出来事として定義した。だから同じ演技でも、客が飽きていれば花はない。受け手の状態まで含めて芸を考えるこの視点は、後の日本の芸道論に広く影響した。
「初心忘るべからず」という言葉も世阿弥に由来する。ただし世阿弥の用法は、最初の志を忘れるな、という現在の意味とはやや違う。未熟だった頃の自分の芸を覚えておけ、という意味である。 その時どうだったかを知らなければ、いま自分がどこにいるか測れない。
中世の美意識との関係も論じられる。この本は新古今和歌集の時代に洗練された幽玄という語を能に持ち込んだ。奥深く、はっきり見えず、余情がある状態を、能の理想として置いた。
発見の遅さも、この本の受容を特殊にしている。1909年に世に出たとき、日本の演劇論はすでに西洋の理論を輸入していた。そこへ六百年前の完成された演技論が出てきた。 以後、この本は能の枠を超えて、演劇論・芸術論として読まれている。
内容
第一「年来稽古条々」。年齢別の稽古法である。
七歳。自然にやることに任せ、厳しく教えない。強く叱ると嫌になってやめてしまう。
十二、三歳。声も出るようになり、何をやっても美しく見える時期である。世阿弥はここで注意する。この美しさは本物ではない。
十七、八歳。声が変わり、体も変わる。急に下手になったように見え、人にも笑われる。ここでやめる者が多い。 世阿弥は、この時期は生涯の分かれ目であり、恥を捨てて続けるほかない、と書く。
二十四、五歳。声も体も定まり、上手いと言われ始める。人に勝つこともある。だがそれは一時の花であり、本物ではない。 ここで自分は名人だと思った者は、そこで止まる。
三十四、五歳。芸の頂点にあたる。ここで名を得られなければ、その先はない。
四十四、五歳。やり方を変えなければならない時期である。 体力が落ち、細かい所作が利かなくなる。若い役者に華やかな役を譲り、自分は控えめな演じ方に移る。
五十を過ぎたら、何もしないほかに手立てはない。 ただし、真に花を持つ者なら、演目が減っても花は残る。世阿弥はここで父の観阿弥の最後の舞台に触れる。死の直前、老いた体でわずかな所作しか行わなかったが、観客は深く感動した、と記す。
第二「物学条々」。役柄ごとの演じ方である。女、老人、直面(面を着けない役)、物狂、法師、修羅、神、鬼、唐事。それぞれに何を心がけるかが説かれる。
第三「問答条々」。実務の助言が多い。その日の客の様子をどう見るか。演じる順序をどう組むか。競演で相手が良い出来だったときにどうするか。受けなかった日をどう扱うか。
第七「別紙口伝」。この本で最も引かれる部分にあたる。
「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」。隠しているからこそ花になる。何をするか分かっていれば、客は驚かない。
「珍しきが花」。面白さの正体は珍しさである。同じことを続ければ必ず飽きられる。だから花は保てず、保つには変え続けるしかない。
そして、時分の花と、まことの花が区別される。若さが咲かせる花は必ず散る。散った後に残るものだけが、まことの花である。