鴨長明
- 原綴
- Kamo no Chōmei
- 生没
- 1155頃–1216
- 出身
- 京(現・京都市)
- 国
- 日本
- 時代
- 中世
生涯
1155年ごろ、京の下鴨神社の神職の家に生まれた。父は下鴨神社の禰宜(ねぎ)を務めており、家柄としては恵まれていた。
だが父が早くに死に、後ろ盾を失う。長明は歌人として名を上げ、後鳥羽院に認められて和歌所の寄人(よりうど)にも任じられたが、望んでいた下鴨神社の禰宜の職を、一族の反対で得られなかった。この挫折を機に、50歳前後で出家する。
出家後は大原、次いで日野の山中に移り、方丈(一丈四方、約3メートル四方)の小さな庵を結んで暮らした。この庵で書かれたのが方丈記(1212年)である。1216年、60歳ほどで死去した。
作風
方丈記は、川の流れを引いて無常を語る冒頭で知られる。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。だが本文の中心は、実際には災害の記録である。
安元の大火、治承の辻風(竜巻)、養和の飢饉、元暦の大地震。それぞれについて、何が起きたかを具体的に書いている。飢饉の際には都で四万人以上の死者を数えたという記述があり、道端に倒れた死者の様子、親が子に食を譲って先に死ぬ姿までが記される。抽象的に無常を説くのではなく、実際に世界が壊れる場面を見た人間の報告になっている。
そのうえで、方丈の庵での暮らしを描く。持ち物は少なく、住まいは組み立て式で移動できる。何も持たないことの気楽さが語られる。
しかし末尾で自問する。閑居を楽しむこの心も、執着ではないのか。念仏を唱えようとして声が出ない、というところで、答えを出さずに終わる。自分の到達点を自分で疑って閉じる構造である。
文体は和漢混淆文である。漢語の硬さと和文の流れを混ぜたこの文体は、この時代に確立し、今日の日本語の散文の基礎になった。
作品
方丈記(1212年)
代表作である。極めて短く、原稿用紙にして数十枚程度、註付きの版なら一時間ほどで読める。冒頭の無常観だけが有名だが、中盤の災害の記録こそが本領で、具体的な描写の力はそこに出ている。
仏教説話集で、出家や往生をめぐる話を集めたものである。
歌論書で、当時の和歌の作法や逸話を記す。
文学史における立ち位置と影響
方丈記は、枕草子(清少納言)、徒然草(吉田兼好)とあわせて「三大随筆」と呼ばれる。三つのなかでは中間に位置する。
「隠者の文学」を代表する作品でもある。世俗を離れた者が書くという形式は中世に特徴的で、吉田兼好や西行と共通する。社会の外に出ることが、書く条件になる時代だった。
自分の思想を自分で疑って終わる構造は、後の日本の随筆に受け継がれた。吉田兼好の断定と撤回の反復とも通じている。
災害の記録としての価値も高い。12世紀末の京都で起きた大火、竜巻、飢饉、地震について、目撃者が書いた文献はほかに少なく、歴史学や災害史の資料としても参照される。東日本大震災の後には、この点から改めて読まれた。