吉田兼好

燭台の明かりのもと、文机に向かって筆を執る吉田兼好を描いた線描。
原綴
Yoshida Kenkō
生没
1283頃–1352頃
出身
京(現・京都市)・推定
本名
卜部兼好
日本
時代
中世

生涯

鎌倉時代の末に生まれた。神職の家である卜部(うらべ)氏の出とされ、本名は卜部兼好。宮廷に出仕して官職を得たのち、30歳前後で出家し、以後は僧形で過ごした。歌人としても高く評価され、当代の和歌の名手を選んだ「和歌四天王」の一人に数えられ、勅撰集にも歌が採られている。

ただし、この経歴の多くは後世の伝承に依っており、確実な事実は少ない。「吉田兼好」という呼び名も後世に定着したもので、近年の研究では「兼好法師」あるいは「卜部兼好」と呼ぶことが多い。出家の理由についても諸説あり、断定を避けるべき部分が多い。

作風

徒然草(1330年頃)は、二百四十余段からなる随筆である。同じ中世方丈記と同じく無常を扱いながら、調子がまるで違う。軽く、断片的で、時に意地が悪い。有職故実(朝廷の儀式や装束の知識)の考証もあれば、説教もあり、他人の失敗を面白がる話もある。

一貫した思想の書ではない。「かくあるべし」と説いた直後の段で正反対のことを言うこともある。その場ごとの観察と感想の集積であり、体系を作ろうとしていない。

美意識の面では、完全でないものを尊ぶ。第137段は「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」と始まる。花は満開だけを、月は曇りのないものだけを見るものだろうか、という問いである。散りかけの花、雨で見えない月、そこにこそ趣があるとする。欠けたもの途中のものに価値を置くこの感覚は、後の日本の美意識に長く影響した。

人物の観察も鋭い。知ったかぶりをする者、酒席で絡む者、身の程を知らない出世欲。具体的な場面を挙げて、突き放した目で書く。

作品

徒然草(1330年頃)

唯一の代表作である。章段が独立しているので、どこから読んでも成立する。通読せず、目次から拾う読み方に向いている。

冒頭の「つれづれなるままに」の段と、桜と月を論じた第137段がとくに有名だが、失敗談や人物観察の段のほうが面白いという読者も多い。木登りの名人が、高い所ではなく降りてきた低い所で注意を与える第109段のように、実際的な教訓を含む段も知られる。

文学史における立ち位置と影響

徒然草は、枕草子清少納言)、方丈記鴨長明)とあわせて「三大随筆」と呼ばれる。三つのなかで最も新しい。

日本の美意識の形成に与えた影響が大きい。満開でないもの完全でないものを尊ぶ感覚は、茶道や庭園を含む後の日本文化の各分野で参照された。

近世以降、教養書として広く読まれた。江戸期には注釈書が多数作られ、庶民にまで浸透している。三大随筆のなかでは最も広い読者を得た作品であり、現在も高校の古文教材として定番である。

一方、作者についての伝記的事実には不明な点が多い。江戸期に作られた伝承が長く事実として扱われてきた経緯があり、近年は史料に基づく見直しが進んでいる。

作品

登場する文学史