徒然草
- 作者
- 吉田兼好
- 成立
- 1330頃
- 国
- 日本
- 時代
- 中世
概要
二百四十三の短い文章が並んでいるだけの本である。一段が一行のものもあれば、数ページのものもある。順序に意味はなく、どこから読んでもよい。
内容が一定していないことが、この本の特徴にあたる。無常を説く段があり、生き方の助言があり、有職故実のうんちくがあり、そして人が失敗した滑稽な話がある。木登りの名人の教訓の隣に、宴会で鼎を頭にかぶって抜けなくなった僧の話が置かれている。
有名なのは、欠けたものを良しとする感覚である。花は満開だけを、月は曇りのないものだけを見るものだろうか、と兼好は問う。散った後の庭、雲に隠れた月、雨の夜に見えない月を思うこと。完全でないもの、途中のもののほうに趣があるという主張は、後に日本の美意識の説明として繰り返し引かれることになる。
同時に、この本はかなり辛辣である。世間の人を観察して、その愚かさを容赦なく書く。名声を求めること、財を蓄えること、酒を勧める習慣。自分自身の未練も隠さない。 出家した身でありながら、世を捨てきれていないことが随所に出る。
作者の吉田兼好は、宮廷に仕えた後に出家した人物である。書かれたのは1330年前後、鎌倉幕府が倒れる直前にあたる。
この本には、書かれた当時の反響の記録がない。兼好の生前に読まれた形跡がなく、忘れられていた。発見されるのは百年以上後で、そこから一気に古典になる。
文学史における評価と影響
三つのなかで、この本が最も広く読まれた。理由は江戸時代にある。印刷されて出回り、注釈書が作られ、庶民の教養書になった。処世の知恵を含み、断片で読め、面白い話も入っている。古典でありながら実用書として扱われたという点で、他の二つと事情が違う。
「無常」の扱い方も、方丈記とは異なる。方丈記は災害を数え、世の頼りなさを突きつける。この本の無常は、もっと落ち着いている。 すべては移り変わるのだから、そこに執着せず、面白がって眺めればよい。深刻さが薄いぶん、読みやすい。
美意識の面では、「欠けたものを良しとする」感覚が最大の遺産にあたる。この考え方は茶の湯に取り込まれ、後に「わび・さび」を説明する際の典拠として使われた。ただし兼好自身は体系だった美学を述べていない。 後世がここから理論を組み立てた面が大きい。
近代では、この本を思想書として読むより、兼好という人物の矛盾を面白がる読み方が出てきた。出家しながら世間を捨てられず、無常を説きながら世俗の作法にこだわる。そのちぐはぐさこそが人間らしいとする評価である。
内容
序段。することもなく、一日中硯に向かって、心に浮かぶことを書きつけていると、妙に狂おしい気持ちになる、と述べる。書く目的が示されないまま始まる。
第七段が、この本で最も引かれる部分の一つにあたる。人の命に限りがなく、いつまでも消えずにいるなら、ものの情趣はない。命は限りがあるから良い、と兼好は書く。四十に足らずで死ぬのが見苦しくない、とも言う。
第百三十七段が、美意識を述べた段である。花は盛りを、月は曇りのないものだけを見るものだろうか。雨に向かって月を恋い、簾を垂れて春の行方を知らないでいるのも趣が深い。咲きそうな梢、散った庭にこそ見るべきものがある。
第九十二段は、弓を習う者の話である。二本の矢を持って的に向かってはいけない。二本目があると思うと、一本目がおろそかになる。そのつど、この一本で決めるつもりでいなければならない。
第百九段は、木登りの名人の話である。高いところにいるあいだは何も言わず、軒の高さまで降りたところで初めて「気をつけろ」と声をかける。危ない場所では自分で気をつけるが、易しくなったところで人は失敗する。
第五十三段は、仁和寺の僧の失敗談である。宴会で足鼎を頭にかぶって踊ったところ、抜けなくなった。医者に行っても直らず、引き抜くと耳と鼻が取れた。このほか仁和寺の僧の失敗が複数の段に出てくる。
第五十二段も同じく仁和寺の僧の話で、石清水八幡宮に参ったつもりが、山の下にある付属の社だけを拝んで帰ってきた。少しのことにも先導者はあってほしいものだ、と結ばれる。
このほか、家の造り方、酒の害、老いと若さ、名利の空しさ、当時の風俗、有職故実の考証などが並ぶ。まとまった主張はなく、体系を作ろうとしていない。