反抗的人間
- 原題
- L'Homme révolté
- 作者
- アルベール・カミュ
- 成立
- 1951
- 国
- フランス
- 時代
- 20世紀以降
概要
1951年10月に刊行された評論である。日本語訳で四百ページ前後になる。
出発点は一つの問いにある。20世紀に入って、政治的な理由で殺された人の数は、それ以前とは桁が違う。しかもその多くは、理念の名において体系的に行われた。なぜそれが正当化できると考えられたのか。カミュはその論理の系譜をたどる。
前提として、カミュは反抗を肯定する。反抗とは、不当な扱いに対して「もうたくさんだ」と言うことである。そこには単なる拒否以上のものが含まれる。ある一線を越えてはならないと主張するとき、その一線は自分だけのものではない。だから反抗する者は、自分のためだけに立っているのではない。カミュはこれを「私は反抗する、ゆえに我々は存在する」と定式化した。
その上で、反抗と革命を区別する。反抗は目の前の不正に対する拒否で、限度を持つ。革命は歴史の終わりに実現される理想を掲げ、そこへ至るために現在の犠牲を計算に入れる。カミュは後者を批判した。
執筆は1940年代後半にわたる。第二次大戦とナチスの犯罪の後、ソ連の強制収容所の実態が次第に知られはじめた時期にあたる。1949年、ソ連からの亡命者による証言をめぐる裁判がフランスで行われ、収容所の存在が公の論争になっていた。
当時のフランスの知識人の多くは、ソ連への批判を控えていた。反共の陣営を利するという判断による。カミュはこの立場を取らなかった。
刊行後、1952年5月、サルトルが主宰する雑誌『レ・タン・モデルヌ』にフランシス・ジャンソンによる厳しい書評が載った。カミュは編集長宛ての公開書簡で反論し、サルトル本人が応答した。サルトルは、カミュが歴史の外に立とうとしていると批判し、その道徳的な姿勢を退けた。この応酬で二人の交友は終わり、以後和解しなかった。
論争はカミュの側に不利な形で受け取られた。当時のパリの知識人の空気ではサルトルの立場が優勢で、カミュは孤立した。
1956年のハンガリー動乱、1968年のプラハ侵攻、1973年のソルジェニーツィンの収容所群島の刊行を経て、評価は変わった。
文学史における評価と影響
反抗と革命の区別が、この著作の中心にある。反抗は目の前の不正に対する拒否で、人間の生命を守るところに根拠を持つ。だから限度がある。革命は理想を先に置き、そこへ至る過程を正当化の根拠にする。だから限度を失う。この区別は、20世紀の政治的暴力を捉える枠組みとして繰り返し参照されてきた。
同時に批判もある。カミュの言う「節度」は具体的な政治の指針にならない、という指摘である。実際にどこで止まるかを決める基準が示されていない。サルトルの批判もこの点を突いた。植民地支配のもとで抑圧されている側が、どこまで暴力を使ってよいのかという問いに、この本は答えを与えない。
カミュ自身、この問題を後に自分の身の上で引き受けることになる。1954年に始まったアルジェリア戦争で、フランス領アルジェリア生まれのカミュは、独立派の側にも入植者の側にも立てなかった。1957年のノーベル賞受賞時、学生からの質問に答えて、正義と母のどちらかを選ぶなら母を選ぶという趣旨の発言をし、これが長く批判の対象になった。
ロシアの革命家を扱った部分は、後に戯曲『正義の人びと』になった。
内容
形而上的な反抗が最初に扱われる。神が作ったとされる世界の秩序そのものに対して「否」と言う系譜である。サド、ロマン派の反逆者たち、ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟に出てくるイワン、ニーチェ、そしてシュルレアリスムまでが並ぶ。
ここでの争点は、神を否定した後に何が来るかにある。イワン・カラマーゾフの「神がいなければすべては許される」という命題を、カミュは繰り返し取り上げる。神が消えれば、行為を制限するものも消える。この空白を何が埋めるのか。
歴史的な反抗が本論にあたる。フランス革命でルイ十六世を裁いて処刑した場面から始まる。カミュは、王の処刑が単なる政治的な出来事ではなく、神に由来する秩序を人間が裁いた事件だったと見る。
続いて19世紀ロシアの革命家たちが扱われる。カミュがとくに詳しく論じるのが、1905年にセルゲイ大公を暗殺した組織の一群である。彼らは要人を爆殺する一方で、自分も死刑になることを引き受けた。一度は、標的の馬車に子どもが乗っていたため爆弾を投げるのをやめている。カミュはこれを、殺人を犯しながらなお限度を守った例として位置づけ、「潔癖な殺人者」と呼んだ。
そこから20世紀へ移る。国家によるテロルが二つの形で論じられる。ファシズムと、マルクス主義にもとづく体制である。
批判の焦点は歴史の扱い方にある。歴史が必然的にある結末へ向かうと考えれば、その結末に近づける行為はすべて正当化できる。逆に妨げる者は、歴史の側から見て有罪になる。この論法のもとでは、現在生きている人間は未来のための手段になる。カミュは、その未来を誰も保証できない以上、この計算は成り立たないと論じる。
芸術と反抗の章が置かれ、小説と絵画が、世界をそのまま受け入れずに作り直す営みとして扱われる。
結論として、カミュは限度を守ることを主張する。すべてか無かではなく、どこかで止まること。カミュはこれを「節度」と呼び、地中海的な思想として提示した。