北原白秋
- 原綴
- Kitahara Hakushū
- 生没
- 1885–1942
- 出身
- 福岡県柳川
- 本名
- 北原隆吉
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
生涯
1885年、福岡県柳川の裕福な造り酒屋に生まれた。本名は隆吉。水郷として知られる柳川の風景は、白秋の詩の原点になった。上京して早稲田大学に学び、在学中から詩人として頭角をあらわした。
二十代で、森鴎外らの文芸誌に集った若い芸術家の交わり(パンの会と呼ばれた)に加わり、耽美的な芸術を追い求めた。第一詩集『邪宗門(じゃしゅうもん)』で、南蛮趣味と異国情緒に満ちた象徴詩を発表し、名を高めた。
三十歳を前に、隣家の人妻との恋が姦通の罪に問われ、短期間ながら拘置された。この事件は生活を大きく傾かせたが、逆境のなかで書かれた歌集『桐の花』が、歌人としての評価を高めることにもなった。
その後、詩から短歌、そして童謡へと活動を広げた。とりわけ大正期、鈴木三重吉が創刊した児童雑誌『赤い鳥』を中心に始まった童謡の運動で、白秋は中心的な役割を果たし、数多くの童謡を作った。晩年は糖尿病で視力を失いながらも創作を続け、1942年に没した。
作風
白秋の言葉は、音楽性に富む。声に出したときの響きやリズムを重んじ、言葉そのものが歌のように流れる。この音楽性が、詩・短歌・童謡という異なる形式を貫く、白秋の一貫した特質である。
初期は南蛮趣味と、鮮やかな色彩に彩られた耽美的な象徴詩を書いた。象徴詩とは、事物を直接述べず、暗示やイメージによって気分や情趣を喚起する詩を指す。「われは思ふ、末世の邪宗、切支丹(きりしたん)でうすの魔法」と始まる『邪宗門』の詩は、異国的な言葉の響きで独特の官能をたたえる。
童謡では一転して、平明で親しみやすい言葉を用いた。「からたちの花」「待ちぼうけ」「この道」など、白秋の童謡は今日まで広く歌い継がれている。難解な象徴詩から、子どものための平易な歌まで、幅広い表現をこなした。
作品
『邪宗門』(1909年)
白秋の第一詩集である。南蛮渡来の異国情緒と、キリシタン趣味、鮮やかな色彩に満ちた象徴詩を集めた。近代日本の耽美的な象徴詩を代表する詩集とされる。
『思ひ出』(1911年)
故郷の柳川での少年時代の記憶をうたった詩集である。水郷の風景と幼い日の情感を、みずみずしい言葉で描いた。
童謡では「からたちの花」「この道」などが名高く、作曲家の山田耕筰(やまだこうさく)との協力から多くの名曲が生まれた。短歌でも歌集『桐の花』などを残している。
文学史における立ち位置と影響
白秋は、近代日本の詩歌を、詩・短歌・童謡の三つの領域にわたって豊かにした詩人として文学史に名を残す。一つの形式にとどまらず、それぞれで一流の仕事を残した点に、その大きさがある。
象徴詩人としては、萩原朔太郎らと並んで、近代日本の象徴詩を確立した。童謡運動では、子どものための芸術的な歌という新しい分野を切り開いた。白秋の童謡は、日本人の記憶に深く刻まれ、世代を越えて歌い継がれている。
言葉の音楽性を何よりも重んじたその詩法は、後の詩人・作詞家に広く影響を与えた。近代日本語の詩の音の可能性を、白秋ほど多彩に開いた詩人は少ない。