雨月物語
- 作者
- 上田秋成
- 成立
- 1776
- 国
- 日本
- 時代
- 近世
概要
九篇の怪談を集めた短篇集である。全五巻。一篇は十数ページで、いずれも人が死者や異形のものと関わる話にあたる。
ただの怖い話ではない。出てくる幽霊や妖怪には、それぞれ理由がある。約束を守るために自害して魂になる武士。夫の帰りを待ち続けて死んだ妻。裏切られた恨みで蛇になる女。執着が形を取る、という筋が九篇に共通している。
文体が独特である。秋成は、当時の口語ではなく、古語を使った雅文で書いた。源氏物語や今昔物語集の言葉遣いを意図的に取り込んでいる。内容は怪談だが、文章は古典の格を持つ。 この落差がこの本の質感を作っている。
種本がある。九篇の多くは、中国の白話小説——『三言』などの短篇集——から筋を借りている。それを日本の土地と歴史に移し替え、日本の古典の言葉で書き直した。翻案でありながら、もとの話とは別物になっている。
秋成は大坂の商家に育ち、家業を継いだが火事で失い、その後に医者となった人物である。国学者としても知られ、本居宣長と正面から論争している。 宣長が日本の古伝を絶対視したのに対し、秋成はそれを疑った。この懐疑の姿勢は作品にも通じている。
刊行は1776年。だが序文には1768年と記されており、実際には八年寝かせてから出したことになる。 理由は分かっていない。
文学史における評価と影響
日本の怪異小説の最高峰とされる。読本というジャンルの代表作にあたる。
評価の中心は、怪異を人間の側から書いた点にある。妖怪が人を襲うのではない。人の執着、約束、裏切り、欲が、そのまま怪異の形を取る。 だから読後に残るのは恐怖ではなく、その人物がなぜそうなったかという理解にあたる。
文章の格の高さも繰り返し評価される。俗な題材を雅語で書くという方法は、当時としても意識的な選択だった。同時代の西鶴が町人の言葉で町人を書いたのに対し、秋成は古典の言葉で庶民の怨念を書いた。
近代文学への影響は広い。泉鏡花の幻想的な世界はこの系譜に連なる。芥川龍之介、谷崎潤一郎、三島由紀夫がいずれもこの作品を高く評価している。
溝口健二の映画『雨月物語』(1953年)が、この作品を国際的に知られたものにした。ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受けている。ただし映画は「浅茅が宿」と「蛇性の婬」を組み合わせて別の物語にしており、原作とは筋が違う。
内容
「白峰」。西行が讃岐の白峰にある崇徳院の墓を訪ねる。夜、崇徳院の霊が現れる。保元の乱に敗れて流された崇徳院は、いまも憤り、この世を乱す魔になったと語る。西行は諫めるが、聞き入れられない。 政治と怨霊をめぐる問答が続く。
「菊花の約」。旅の武士赤穴が病に倒れ、学者左門に助けられる。二人は義兄弟の契りを結ぶ。赤穴は国へ帰り、菊の節句の日に必ず戻ると約束する。
だが赤穴は故郷で幽閉される。約束の日が来ても行けない。魂ならば一日に千里を行くという言葉を思い出し、赤穴は自害する。 その夜、左門の前に赤穴が現れ、事情を告げて消える。
「浅茅が宿」。商人勝四郎が家を出て京へ行く。妻宮木に、秋には帰ると告げる。だが戦乱で道が塞がり、七年が過ぎる。
ようやく帰った勝四郎は、荒れた家に妻がいるのを見つける。二人は再会を喜び、その夜を過ごす。翌朝、目覚めると家は朽ち果てており、妻の姿はない。 庭に塚があり、そこに妻の辞世の歌が残されていた。宮木は勝四郎を待ち続けて死んでいた。
「夢応の鯉魚」。絵の上手な僧興義が病で死んだと思われたが、三日後に蘇生する。そして語る。自分は魚になって湖を泳ぎ回っていた。だが釣り上げられ、まな板に載せられた。その屋敷で行われていた宴の様子を、興義は正確に言い当てる。
「仏法僧」。高野山に泊まった親子の前に、豊臣秀次とその家臣たちの亡霊が現れる。
「吉備津の釜」。放蕩者の正太郎が、良家の娘磯良を妻に迎える。だが遊女と駆け落ちする。捨てられた磯良は病んで死に、その怨念が正太郎を追う。陰陽師の指示で四十二日間、家に籠って呪符を貼り、耐える。最後の夜が明けたと思って戸を開けると、まだ夜だった。 悲鳴が上がり、後には血と、壁に残った爪の跡だけがあった。
「蛇性の婬」。豊雄が、雨宿りの折に美しい女真女児と出会い、心を奪われる。だがこの女は蛇の化身だった。豊雄は罪に問われ、逃げても逃げても真女児が現れる。最後、僧が鉢で蛇を封じ、土に埋める。
「青頭巾」。高徳の僧が、稚児の死を悲しむあまり屍を食い、鬼と化した話。旅の禅僧が一つの禅語を与えて去り、一年後に戻ると、鬼はその語を唱え続けたまま骨と青頭巾だけになっていた。
「貧福論」。金を貯めることに執着する武士のもとに、黄金の精が現れて問答する。富は善悪と関係がないという主張が語られる。この一篇だけ怪異が恐ろしくなく、経済論に近い。