赤と黒

原題
Le Rouge et le Noir
作者
スタンダール
成立
1830
フランス
時代
19世紀

概要

1830年に刊行された長篇小説である。副題は「1830年の年代記」。二部からなる。フランス東部の田舎町に生まれた製材業者の息子が、聖職者として身を立てようとし、二人の女性との関係を経て、最後に処刑されるまでを描く。実際に起きた殺人事件が素材になっている。恋愛や野心を、感情ではなく計算として書く方法により、近代の心理小説の出発点の一つとされる。

素材になったのは、1827年に起きたベルテ事件である。神学生アントワーヌ・ベルテが、かつて家庭教師をつとめた家の夫人を教会で銃撃し、処刑された。スタンダールは新聞でこの事件を知り、筋の骨格に用いた。

執筆は1829年から30年。刊行は1830年11月で、七月革命の四か月後にあたる。作中の時代設定は革命前の王政復古期であり、副題の「1830年の年代記」は、その終わりかけた時代を記録するという含みを持つ。

刊行時の評価は伸びなかった。スタンダールは生前ほぼ無名のまま、1842年にパリの路上で倒れて死んでいる。自分は1880年ごろ、あるいは1935年ごろに読まれるだろうと書き残しており、実際に評価が定まるのは19世紀末以降である。

文学史における評価と影響

感情を、分析の対象として書いた作品である。ジュリヤンがレナール夫人の手を取る場面では、恋心はほとんど働いていない。彼は時刻を決め、それを守れなければ自分を軽蔑すると宣言し、義務として実行する。心臓が高鳴るのは、恋のためではなく、任務に失敗する恐れからである。感情の描写ではなく、感情を操作する意識の記録になっている。

文体は装飾を嫌う。スタンダールは文体の手本を民法典に求めたと書いており、実際に比喩が少なく、説明を切り詰めて場面を進める。同時代のバルザックが長い描写で環境を作り込むのとは対照的である。

教科書的な時代区分が実態に合わないことの分かりやすい例でもある。文学史では「ロマン主義のあとに写実主義が来る」と直列に並べられるが、この作品が出た1830年は、ユゴーエルナニが劇場で騒乱を起こした年、つまりロマン主義の絶頂期にあたる。同じ年に、熱狂とは逆の冷たい観察の小説が書かれていた。複数の方向が並走していたのであって、順番に交代したのではない。

題の「赤と黒」が何を指すかは定まっていない。軍服と僧服、革命と反動、賭博台の色など複数の説がある。作者が説明を残していないため、断定はできない。

日本では大岡昇平が翻訳と研究を続け、その心理分析の方法を自作に取り入れた。

あらすじ

第一部。舞台はフランス東部の小さな町ヴェリエール。製材業者の末子ジュリヤン・ソレルは、体が弱く力仕事に向かないため、家族から疎まれている。だが記憶力が並外れており、ラテン語の聖書を全文暗記していた。ナポレオンを崇拝しているが、王政復古の時代に軍人としての立身の道は閉じている。聖職者になるしかない、と彼は考える。

その学識を買われ、ジュリヤンは町長レナール家の家庭教師になる。彼は自分に義務を課した。今夜十時までにレナール夫人の手を取らなければ、自分を軽蔑する——そう決めて実行する。恋心からではなく、自分の勇気を証明するためである。やがて二人は関係を持つ。夫人は敬虔な女性で、罪の意識に苦しみながら深く愛した。

関係が町に知れ、ジュリヤンは町を出て神学校に入る。校長ピラール師に認められるが、神学校は陰謀と密告の場だった。

第二部。ピラール師の推薦で、ジュリヤンはパリのラ・モール侯爵家の秘書になる。侯爵の娘マチルドは、退屈しきった誇り高い令嬢で、平民出身のジュリヤンに惹かれる。二人は駆け引きを重ね、マチルドは身ごもった。侯爵は激怒するが、やがて折れ、ジュリヤンに軍籍と称号を与えて結婚を認めようとする。

その直前、侯爵のもとに一通の手紙が届く。レナール夫人が、聴罪司祭の指示のもとで書いたもので、ジュリヤンは女を踏み台にして出世する男だと記されていた。縁談は壊れる。

ジュリヤンはヴェリエールへ戻り、教会でミサの最中のレナール夫人をピストルで撃つ。夫人は一命をとりとめた。

獄中でジュリヤンは落ち着きを取り戻す。マチルドが救命に奔走し、レナール夫人も助命を願い出るが、ジュリヤンは法廷で、自分は身分を越えようとした平民として裁かれるのだと述べ、陪審を敵に回す。死刑が確定し、断頭台で処刑された。

マチルドは、かつての先祖の物語になぞらえて、ジュリヤンの首を自ら埋葬する。レナール夫人は三日後に死んだ。

作者

登場する文学史