アンリ・ブリュラールの生涯
- 原題
- Vie de Henry Brulard
- 作者
- スタンダール
- 成立
- 1890
- 国
- フランス
- 時代
- 19世紀
概要
書きかけのまま放り出された自伝である。幼年期から十七歳、アルプスを越えてミラノに入るところまで書いて、そこで途切れている。「アンリ・ブリュラール」はスタンダールが自分に付けた仮の名で、実在の人物ではない。
ふつうの自伝と違うのは、思い出せないことを思い出せないと書く点である。これは本当に見た光景なのか、後から人に聞いた話を絵のように思い描いているだけなのか分からない——そう断りながら書き進める。完成した回想ではなく、回想しようとしている最中の状態がそのまま残っている。
その姿勢がいちばん見えるのが、本文に挟まれた手描きの見取り図である。部屋の配置、道の曲がり方、そのとき誰がどこに立っていたか。文章で書けないので図にした、というより、図を描きながら思い出そうとしている。数十枚が原稿のまま印刷されている。
書かれた事情は退屈である。スタンダールは1831年からイタリアのチヴィタヴェッキアで領事を務めていた。仕事は少なく、話し相手もいない。五十二歳になる自覚とともに「私は何であったのか」と問い始め、ものすごい速度で書いた。そして完成させないまま放置した。
刊行の意図がなかったわけではない。原稿の余白には、これは1880年ごろに読まれるだろう、という書き込みがいくつも残っている。自分は同時代人には理解されない、という判断である。 実際に刊行されたのは1890年、予言から十年遅れて、死後四十八年後だった。
文学史における評価と影響
近代自伝の先駆とされる。
従来の自伝は、過去を一つの完結した物語として語る。ルソーの告白でさえ、書き手は自分の生涯の意味をすでに知っている位置から書いていた。スタンダールはそこを崩した。記憶は当てにならず、その当てにならなさごと書くという態度は、20世紀に入ってからの自伝や、記憶を主題とする文学を先取りしている。
見取り図の挿入は、その態度を目に見える形にしたものにあたる。完成した回想ではなく、回想という作業の現場がそこにある。
幸福は書けないという問題も、この作品が突き当たったまま終わった論点として繰り返し論じられる。父への憎悪も、母の死も、抑圧された少年時代も書けた。ところがミラノでの幸福を書こうとした瞬間に筆が止まり、そのまま放棄される。不幸は細部を持つが、幸福は持たない。
作品としての魅力は率直さにある。父への憎悪、叔母への嫌悪、自分の臆病さ、女の前での失敗。美化もしないが、卑下もしない。ただ観察して書く。
スタンダールの小説を読むうえでの鍵にもなっている。赤と黒のジュリヤンが持つ地方への憎悪と上昇への渇望、パルムの僧院のイタリアへの偏愛。その出どころがここに書かれている。
内容
1832年、ローマのジャニコロの丘の上で始まる。まもなく五十歳になるという自覚が執筆の動機として記される。「私は何であったのか」——この問いから回想が始まる。
グルノーブルでの幼年期。アンリ・ベール(スタンダールの本名)は1783年、法律家の家に生まれた。七歳のとき母が死ぬ。この死は決定的だった。少年は母を激しく愛していた。幸福な幼年期はここで終わる。
以後、父と叔母セラフィーに育てられ、この二人を憎む。 父はけちで、王党派で、信心深く、少年の自由を認めない。叔母は意地悪く、監視する。家庭教師の司祭も抑圧的である。外に出ることも、友と遊ぶことも許されない。この時期の記述が作品の前半を占める。
少年の内には、父たちが代表するすべて——王政、宗教、地方の俗物性——への憎悪が育つ。フランス革命が起こると、密かに革命の側に共感する。王が処刑されたと聞いて喜びを覚えたことも、隠さずに書かれている。
救いは二つあった。一つは母方の祖父で、啓蒙の精神を持つ教養人であり、少年に優しかった。もう一つは書物。密かに読んだ小説と詩が想像を育てた。
やがて中央学校が開かれ、少年は数学に打ち込む。数学は単なる学科ではなかった。偽善の通じない領域——そこでは権威も信心も通用せず、証明だけがものを言う。同時に、数学はグルノーブルから出るための手段でもあった。
十六歳、理工科学校の受験を口実にパリへ出る。 だが受験はせず、放心したように日を送る。やがて親戚のダリュ家に拾われ、陸軍省の職を得る。
1800年、十七歳。ナポレオンのイタリア遠征に従い、サン=ベルナール峠を越えてミラノに入る。 ここで生涯を決める体験をする。イタリアの光、音楽、女たち、生の歓び。グルノーブルの抑圧から解き放たれた若者の陶酔が記される。
原稿はこの直後で途切れる。「私は幸福に酔っていた」——その幸福をどう書けばいいのか、というためらいを記したまま、自伝は放棄された。