狂人日記
- 作者
- 魯迅
- 成立
- 1918
- 国
- 中国
- 時代
- 近現代
概要
1918年5月、雑誌『新青年』に発表された短篇小説である。魯迅という筆名が初めて用いられた作品にあたる。
形式は日記である。冒頭に短い前書きが置かれ、そこには文語が用いられる。旧友が病んだ際の日記を入手した、という説明で、病はすでに治り、本人は官職に就くために赴任したと記される。以後の日記本文は白話——話し言葉に近い書き言葉——で書かれる。
日記の書き手は、周囲の人間が自分を食べようとしていると信じている。犬の目つき、村人の視線、兄の言動、医者の診察。すべてが自分を食う準備に見える。
題名と形式はゴーゴリの同名の短篇から採られている。ただし内容は異なる。ゴーゴリの作品が個人の狂気を扱うのに対し、こちらでは、狂人の目を通して社会の仕組みが提示される。
分量は短く、日記は十三の断章からなる。
魯迅は1881年、浙江省紹興の生まれ。日本に留学して仙台で医学を学んだが、授業で見せられた幻灯の写真——処刑される中国人と、それを取り囲んで見物する中国人——に衝撃を受け、医学をやめた。身体を治しても精神が変わらなければ意味がないと考え、文学に転じたと自ら記している。
帰国後は教育部に勤め、しばらく創作から離れていた。古碑の拓本を写して日を送っていた時期に、旧友の銭玄同から『新青年』への寄稿を求められる。
このときのやりとりが、後の作品集の序文に記されている。鉄の部屋の比喩である。窓のない鉄の部屋で大勢が眠っており、まもなく窒息して死ぬ。深く眠っているので苦しみは感じない。ここで大声を出して数人を目覚めさせれば、その者たちに助かる見込みのない苦しみを与えることになる。それでよいのか、という問いに対し、銭玄同は、目覚める者がいる以上、壊せる望みがないとは言えないと答えた。この対話を経て執筆が始まる。
『新青年』は文学革命の中心となった雑誌で、胡適が白話による文学を主張していた。理論としての白話文学の主張に対し、実作でそれを示したのがこの作品にあたる。
文学史における評価と影響
中国最初の本格的な白話小説とされる。それ以前の小説も白話で書かれていたが、この作品は文語による古典的な文学の伝統に対する意識的な断絶として書かれ、近代文学の起点に置かれる。
前書きだけが文語であることは、その意識の表れとして読まれる。治って官職に就いた「正常な」書き手の言葉が文語であり、狂気の中にいる書き手の言葉が白話である。 覚醒した者が社会に復帰すると、元の言葉に戻る構造になっている。
「人を食う」という比喩が、儒教道徳への批判として提出された。礼教が人を抑圧し、実質的に殺している、という主張である。この批判は文学革命期の中心的な論点になり、以後の中国文学に長く影響した。
同時に、この作品は告発だけで終わらない。書き手は、自分も加担していたかもしれないと気づく。外部から批判する立場を、作者は主人公に許していない。 この自己言及が、この作品を単純な啓蒙の書と区別する。
最後の「子どもを救え」の一句は、繰り返し引用されてきた。ただし前書きで、この書き手が回復して官職に就いたことが先に明かされている。訴えは実現せず、書き手は体制の側に戻ったという構成になっており、その落差をどう読むかで解釈が分かれる。
魯迅はこの後、阿Q正伝をはじめとする短篇を書き継ぐ。中国では教科書に収録され、広く知られている。
日本でも訳が複数ある。短いため、阿Q正伝と合わせて読まれることが多い。
あらすじ
前書き。語り手は、中学時代の友人二人のうち一人が重病だと聞き、帰郷の途中に見舞う。会ってみると病んでいたのは兄ではなく弟で、すでに全快しており、官職を待つ身になっていた。兄から当時の日記を渡され、語り手はそれを写して医学の資料として公表する、と述べる。
日記本文。書き手は、今夜の月がやけに明るいこと、この三十余年ずっと昏迷していたことを記す。趙家の犬が自分を見た。趙貴翁の目つきがおかしい。道で会った子どもたちまでが自分について何か話している。
考えを進めるうち、書き手は、これは自分を食べる相談だと理解する。二十年前に古久先生の帳簿を踏みつけた恨みではないか、と推測する。
兄が医者を連れてくる。医者は脈を取り、静かに養生しろと言う。書き手は、これは肥らせてから食う手だと考える。医者が去る際、兄と交わした言葉を聞き取り、確信する。
書き手は歴史書を調べる。年代のないその本には、どのページにも「仁義道徳」と書かれている。夜通し見ていると、字と字の間から別の文字が浮かび上がる。「人を食う」の三字である。
村で起きた事実を思い出す。狼子村では、悪人を殺してその心臓を食べた者がいる。飢饉のときには人を食った記録がある。李時珍の医書には、人の肉を薬にする記述がある。食人は昔から続いており、今も続いている。
兄に向かって、書き手は問う。昔から人を食ってきたが、これからも続けるのか、やめられないのか。食人を認めない者は淘汰されると言われるが、そうではない。改めることはできるはずだ、と訴える。 兄は黙り、集まった人々は書き手を狂人として扱う。
やがて書き手は、恐ろしいことに気づく。四千年にわたって人を食ってきた場所に、自分も生きてきた。妹が死んだとき、兄が肉を食物に混ぜて食べさせなかったとは限らない。自分も知らずに人を食っていたかもしれない。
最後の断章は二行で終わる。人を食ったことのない子どもは、まだいるだろうか。「子どもを救え……」