シーシュポスの神話

原題
Le Mythe de Sisyphe
作者
アルベール・カミュ
成立
1942
フランス
時代
20世紀以降

概要

自殺すべきかどうかを、正面から論じた本である。

冒頭の一文がその宣言になっている。本当に重大な哲学の問題は一つしかない、それは自殺だ、と書かれる。世界に意味がないなら、生きる理由もないことになる。ではなぜ人は死なないのか。この問いから議論が始まる。

カミュはまず、人が意味を求めるのに世界が答えないという状態を不条理と呼ぶ。世界そのものが不条理なのではなく、意味を求める人間と、沈黙する世界とのあいだに生じるずれを指す。

そのうえで二つの逃げ道を退ける。一つは自殺。もう一つは、宗教や哲学によって無理に意味を見つけること。カミュはこれを「哲学的な自殺」と呼ぶ。

残る道は、意味がないと知りながら生き続けることになる。この態度をカミュは反抗と呼ぶ。

題になっているシーシュポスは、ギリシア神話の人物である。巨大な岩を山頂まで押し上げる罰を科されるが、岩は頂上に達すると転がり落ち、それを永遠に繰り返す。カミュはこの人物を、不条理を引き受けて生きる者の姿として置いた。

カミュは1913年、フランス領アルジェリアに生まれた。父は翌年に戦死し、読み書きのできない母のもとで貧しく育った。十七歳で結核にかかり、以後、生涯にわたって再発を繰り返す。哲学を学んだが、この病歴のため教授資格試験を受けられなかった。

執筆は1930年代後半で、完成は1941年、アルジェリアのオランでのことである。刊行は1942年、ドイツ占領下のパリでガリマール社から出た。

同じ年に小説異邦人も出ている。カミュはこの二作と戯曲『カリギュラ』を合わせて「不条理の系列」と呼び、一つの主題を三つの形式で扱ったものとして構想していた。

初版では、カフカを論じた章が削られている。カフカがユダヤ人であるため、占領下の検閲を避けた措置である。この章は戦後の版で復元された。

カミュはこの後、「反抗の系列」に移る。1947年のペストと1951年の反抗的人間がそれにあたる。1957年にノーベル文学賞を受け、1960年に自動車事故で死去した。四十六歳だった。

文学史における評価と影響

不条理という語が、この本を通じて広く使われるようになった。ただしカミュの用法では、これは世界の性質でも人間の性質でもなく、両者の関係を指す。意味を求める側と、答えない側とがそろって初めて生じる。

議論の運び方も特徴にあたる。カミュは哲学の体系を作らない。前提を置き、結論まで筋を通すという形をとらず、状況の記述と例示で進む。学術的な哲学の側からは、この点で厳密さを欠くという批判がある。

サルトルの実存主義としばしば同一視されるが、カミュは生涯その呼び名を拒んだ。サルトルは人間が自分を作っていくという方向へ進むのに対し、カミュは意味がないという事態そのものに留まろうとする。二人は1952年、反抗的人間をめぐる論争で決裂した。

シーシュポスの像は、作品を離れて使われるようになった。同じ作業を延々と繰り返す状況、成果の残らない労働を指す比喩として、労働論や組織論でも引かれる。

日本では複数の訳が読める。哲学の術語がほとんど出てこないため、異邦人と合わせて読まれることが多い。

内容

不条理な論証が第一部にあたる。

日常はふつう、繰り返しの中で疑いなく過ぎる。起きて、通勤し、働き、食事をし、眠る。ある日そこに「なぜ」という問いが入る。すると、それまで自明だったものが根拠を失う。カミュはこの瞬間を、不条理が始まる地点として置く。

続いて、不条理と向き合った思想家が検討される。キルケゴール、シェストフ、ヤスパース、フッサール。カミュは、いずれも途中で神または超越的なものへ跳んでしまうと批判する。不条理を認めながら、そこに留まらずに解決してしまう。

カミュはその跳躍を拒む。不条理を消さずに保つ、という立場をとる。

不条理な人間が第二部で、三つの生き方が例として挙げられる。ドン・ファン——次々に女を替え、量を積み上げる者。俳優——限られた時間に多くの生を演じる者。征服者——歴史のなかで行動する者。いずれも永続を求めず、いま与えられているものだけを扱う。

不条理な創造が第三部で、芸術と小説が論じられる。ドストエフスキーとカフカが扱われる。カミュは、答えを出さずに問いを保つ作品を評価する。

シーシュポスの神話が末尾に置かれる。数ページの短い章である。

カミュが注目するのは、岩を押し上げる場面ではなく、転がり落ちた岩を追って山を下りていく場面である。そこでシーシュポスは、自分の状況を意識している。無益であることも、それが永遠に続くことも分かっている。

だが、意識しているからこそ、その運命は本人のものになる。神々に押しつけられた罰であっても、それを自分で引き受けたときに、罰であることをやめる。

最後の一文が引かれる。頂上を目指す闘いだけで人の心は満たされる。シーシュポスは幸福だと想像しなければならない。

作者

登場する文学史