水滸伝
- 作者
- 施耐庵
- 成立
- 14世紀
- 国
- 中国
- 時代
- 元明清
概要
北宋末の1120年前後を舞台とする長篇小説である。山東の沼沢地にある梁山泊を根拠地として、百八人の好漢が集まる。版により回数が異なり、七十回本、百回本、百二十回本が並行して伝わる。
集まる者の経歴はさまざまである。下級の役人、軍の教官、猟師、僧、盗賊、商人、地主。共通しているのは、多くが罪を犯したというより、官の腐敗と横暴によって居場所を失った点にある。武術の師範だった林冲は上役の子に妻を狙われ、罠にかけられて流刑になる。都の武官だった魯智深は、娘を苦しめる悪徳商人を殴り殺して逃げる。
物語の構成は独特である。前半は、一人ないし数人の来歴を追う挿話が数回単位で連なり、その人物が梁山泊に入ったところで次の人物に移る。中盤で百八人が揃い、序列が定まる。後半は朝廷との関係が主題になり、討伐を退けたのち招安を受け入れ、官軍として他の反乱勢力と戦って多くが死ぬ。
素材は、北宋末に実在した宋江という盗賊の記録である。『宋史』に、宋江ら三十六人が河朔を荒らし、官軍が当たれなかったという簡潔な記述がある。実際の規模は小さく、まもなく帰順したとみられる。
南宋から元にかけて、この三十六人の話が講釈や雑劇で語られ、人物が増え、挿話が付け加えられた。『大宋宣和遺事』という書物には、生辰綱を奪う挿話と三十六人の名がすでに見える。百八人という数と序列は、成立の過程で膨らんだものである。
作者は施耐庵とされ、羅貫中が編集に関わったとする伝えもあるが、施耐庵の生涯はほとんど分かっていない。実在を疑う説もある。
版本の系統が複雑である。百回本には招安と方臘討伐までが含まれ、百二十回本はさらに田虎・王慶討伐の挿話を加える。明末の金聖歎は、招安以降を後人の付け足しとして切り捨て、七十回で終わる版を作った。この七十回本が清代を通じて最も広く読まれ、招安の話を知らない読者が長く続いた。 現在の日本の翻訳は百二十回本または百回本に基づくものが多い。
文学史における評価と影響
四大奇書の一つに数えられる。三国志演義が王朝の興亡を上から描くのに対し、この作品は制度から落ちた者たちの側から社会を描く。侠を主題とする中国の物語の系譜において、最も大きな作品にあたる。
作品の政治的な性格は、時代ごとに読み替えられてきた。明清の政権はこの作品を危険視し、繰り返し禁書とした。反乱を美化するという理由である。一方で作中の反乱軍は皇帝には忠実で、招安を受け入れる。この二重性が解釈を分けてきた。中華人民共和国の成立後は農民反乱の文学として評価されたが、1975年には毛沢東が、宋江は投降主義者であり招安は裏切りだと述べ、全国的な批判運動が起きた。同じ作品が、反乱の書としても投降の書としても読まれてきた点が、この小説の受容史を特徴づけている。
文体の面では、白話(話し言葉に近い書き言葉)による長篇の完成度が高い。金聖歎はこの作品を史記や屈原の楚辞と並ぶ「六才子書」の一つに数え、詳細な評点を付した。小説を詩文と同格に置いた点で、中国の文学観の転換を示す評価にあたる。人物ごとに口調と行動の型を書き分ける技術は、後の紅楼夢にも受け継がれている。
日本への影響は大きい。江戸期に翻訳・翻案が相次ぎ、曲亭馬琴の南総里見八犬伝は、八人の義士が集まる構成をこの作品から得ている。浮世絵の武者絵の題材としても好まれ、歌川国芳の連作がよく知られる。近代以後も翻訳が重ねられ、漫画やゲームの原作として扱われ続けている。
あらすじ
冒頭、疫病を鎮めるために派遣された役人が、道教の寺院で開けてはならない封印を破り、閉じ込められていた百八の魔星を解き放つ。それが後に生まれ変わって好漢たちになるという枠が置かれる。
前半は、個々の人物の話が連なる。禁軍の教頭林冲は、上役の高俅の養子に妻を見初められ、無実の罪で顔に入れ墨をされて流刑になる。護送の途中で殺されかけ、雪の夜に軍糧庫を焼かれて追い詰められ、追手を斬って落ちのびる。魯智深は、義憤から人を殴り殺して出家し、寺でも酒を断てずに追われ、大木を根ごと引き抜く怪力で知られる。武松は、素手で虎を退治して名を上げ、兄を毒殺した義姉の潘金蓮とその相手を討ち、流刑地でも敵を皆殺しにする。
役人の楊志が運ぶ生辰綱と呼ばれる贈答品の一行が、晁蓋らに知恵で奪われる事件が起きる。この一味が追われて梁山泊に入り、山塞の性格が変わる。事件の捜査に当たった役人の宋江は、晁蓋に情報を流して逃がしていた。宋江は妾を殺したことから追われる身となり、各地を転々としたのち、潯陽楼の壁に反逆の詩を書いたことで死罪となる。処刑の場を梁山泊の一党が襲って救出する。
晁蓋が戦死し、宋江が首領となる。梁山泊は勢力を拡大し、官軍の討伐を繰り返し退ける。百八人が揃い、天から石碑が降ってきて序列が示される。宋江は掲げる旗を「替天行道」——天に代わって道を行う——とする。反乱の旗印は皇帝への反逆ではなく、皇帝の周りの奸臣を除くことに置かれている。
七十回本はここで終わる。百回本・百二十回本では、その後が続く。宋江は朝廷からの招安(帰順の勧め)を受け入れる方針をとり、反対する者もいる中で決断する。官軍となった梁山泊軍は、遼との戦いに送られ、続いて南方の方臘の反乱討伐に投入される。ここで死者が続出し、生還したのは三十人ほどにすぎない。魯智深は坐したまま死に、武松は隻腕となって寺に残る。
宋江は楚州の知事に任じられるが、朝廷の奸臣が毒酒を賜る。宋江は、自分の死後に李逵が反乱を起こすことを恐れ、李逵を呼び寄せて同じ毒酒を飲ませ、事実を告げる。李逵は、生きて兄貴に付き従ったのだから死んでも従うと答えて死ぬ。宋江も死に、知らせを聞いた呉用と花栄は墓の前で首を吊る。