三国志演義

作者
羅貫中
成立
14世紀
中国
時代
元明清

概要

後漢末の184年から、西晋が中国を統一する280年までの約百年を扱う長篇小説である。通行本は全120回。歴史の記述に虚構を織り込んだ小説であり、正史とは区別される。

正史にあたるのは、3世紀に陳寿が編んだ『三国志』である。この歴史書では魏が正統な王朝とされる。小説のほうは蜀の劉備の側に立ち、劉備・関羽・張飛の義兄弟と軍師諸葛亮を主人公格に置く。曹操は権謀に長けた敵役として造形される。正史と小説では、誰が正しいかの立場が逆転している。

全体は明確な弧を描く。序盤は群雄の割拠、中盤は赤壁の戦いを頂点とする三国鼎立、後半は諸葛亮の北伐と、主要人物が次々に死んでいく下降である。読者が最も記憶する場面の多くは中盤に集中している。

文体は白話(当時の話し言葉に近い書き言葉)を基調としつつ、文語の要素を残す。回ごとに対句の題が付き、末尾で次回への引きを作る。講釈師の語り物から発展した形式が、そのまま残っている。

素材は三国時代の直後から蓄積されてきた。正史『三国志』と、5世紀に裴松之が付した膨大な注が基礎にある。宋代には、講釈師が三国の話を語る興行が行われ、子どもが劉備の敗北に泣き、曹操の敗北に喜んだという記録が残る。小説になる前から、蜀を正統とする立場は民衆の側で定まっていた。 元代には講釈の台本にあたる『三国志平話』が刊行され、雑劇(元代の演劇)にも三国物が多い。

現存最古の刊本は1522年の嘉靖本で、「晋平陽侯陳寿史伝、後学羅本貫中編次」と記される。羅貫中は元末明初の人とされるが、生涯はほとんど分かっていない。この作品のほか水滸伝の編者ともされるが、確証はない。

現在最も広く読まれているのは、清初の毛綸・毛宗崗父子が手を入れた毛宗崗本である。文章を整え、回の数と題を整理し、蜀を正統とする傾向をさらに強めた。冒頭に置かれた「滾滾長江東逝水」で始まる詞も、毛本で加えられたものである。

虚実の割合について、清の章学誠は「七分の実事、三分の虚構」と評した。この言い方は今も引かれる。桃園の誓い、三顧の礼のうち劇的な部分、赤壁での東南の風、諸葛亮と周瑜の知恵比べは、いずれも史実の裏づけがない。

文学史における評価と影響

四大奇書の一つに数えられる。四大奇書は、明代に成立した四つの長篇白話小説を指す呼び方で、この作品と水滸伝西遊記金瓶梅が挙げられる。中国の長篇小説は、詩文が正統とされた文学観の中では低く見られていたが、これらの作品によって独自の地位を得た。

歴史小説というジャンルを確立した点が、この作品の直接の達成である。以後、中国では歴代の王朝を題材にした演義物が大量に書かれた。史書の記述を骨組みに、講釈の話芸で肉づけするという作り方が、そのまま型になった。

人物の造形が、後世の中国文化に定着した影響も大きい。関羽は忠義と武勇の象徴として神格化され、各地の関帝廟で商業の神としても祀られている。諸葛亮は知略の代名詞になり、曹操は奸雄の典型として語られるようになった。歴史上の人物の一般的な印象が、正史ではなくこの小説によって決まっている。

日本への伝来は早い。江戸初期の1692年に湖南文山による『通俗三国志』が刊行され、以後、絵入りの版や講談を通じて広く読まれた。近代では吉川英治の小説が新たな読者を作り、横山光輝の漫画やゲームを通じて現在も受容が続いている。日本での知名度は、中国の他の古典を大きく上回る。

あらすじ

後漢の朝廷が宦官と外戚の争いで衰え、184年に黄巾の乱が起こる。義勇軍を募る布告を見た劉備は、関羽・張飛と出会い、桃の園で義兄弟の契りを結ぶ。同じ年、生まれた日は違っても死ぬ日は同じにと誓う場面が、作品の基調を定める。

董卓が都を握って暴政を敷き、諸侯が連合して討とうとする。呂布という無双の武将が董卓の側にあり、連合軍は苦戦する。王允が、養女の貂蝉を使って董卓と呂布を仲違いさせ、呂布が董卓を殺す。

群雄が割拠する中、曹操が勢力を伸ばす。曹操は献帝を擁して朝廷の権威を利用し、200年の官渡の戦いで大勢力の袁紹を破って華北を統一する。劉備は敗走を重ね、一時は曹操のもとに身を寄せ、関羽が曹操に厚遇されながらも劉備のもとへ帰る挿話が置かれる。

荊州に落ち着いた劉備は、隆中に隠棲する諸葛亮を三度訪ねてようやく会う。三顧の礼と呼ばれる場面である。諸葛亮は、天下を三分し、まず益州を取り、呉と結んで曹操に当たるという構想を示す。

208年、曹操が南下する。劉備は逃げ、諸葛亮は呉に渡って孫権と周瑜を説得し、同盟が成立する。赤壁の戦いでは、火計を用いて曹操の大船団が焼かれる。諸葛亮が東南の風を祈って呼ぶ場面、船を並べて矢を集める場面は、いずれも小説の創作である。

戦後、劉備は益州を得て蜀を建て、三国が並び立つ。だが関羽が荊州で呉に討たれ、張飛は部下に殺される。劉備は復讐のため呉を攻めて夷陵で大敗し、白帝城で諸葛亮に後事を託して死ぬ。

諸葛亮は南方を平定し、孟獲を七度捕らえて七度放つ。その後、魏に対する北伐を繰り返す。司馬懿との攻防が続き、街亭の敗戦では信任していた馬謖を軍規に従って処刑する。五丈原で陣中に病み、星を見て自らの死期を悟る。命を延ばす祈祷は魏延に妨げられて成らず、234年に没する。

以後は下降が続く。蜀は姜維が北伐を継ぐが国力が尽き、263年に魏に降る。魏では司馬氏が実権を握り、265年に禅譲を受けて晋を建てる。280年、呉が滅び、天下は統一される。冒頭に置かれた、天下の大勢は分かれて久しければ必ず合し、合して久しければ必ず分かれるという一句に対応する形で、作品は閉じられる。

作者

登場する文学史