曹雪芹
- 原綴
- 曹雪芹
- 生没
- 1715頃–1763頃
- 出身
- 南京
- 国
- 中国
- 時代
- 元明清
生涯
1715年頃、南京に生まれた。生没年はいずれも確定していない。
曹家は、清朝の皇帝に仕えた家である。祖父の曹寅は江寧織造という職にあった。宮廷に納める絹織物を管理する役で、皇帝の私的な財政に直結する要職だった。康熙帝が南巡した際、曹家はその行在所を四度務めている。極めて富裕で、宮廷に近い一族だった。
雍正帝の即位後、政変によって曹家は没落する。1728年、財産を没収され、一家は北京へ移った。曹雪芹は十代前半でこの転落を経験している。
以後の生涯は不明な点が多い。北京西郊で貧しく暮らし、絵を売り、酒を飲み、粥をすすったと伝えられる。友人の詩に、その困窮の様子が記されている。
十年をかけて紅楼夢を書き、五度書き改めたと作中に述べられている。生前に完成させることはできなかった。
1763年頃、幼い子を天然痘で失った直後に死去した。四十代後半だった。除夕(大晦日)に死んだとする説がある。
作風
曹雪芹が書いたのは、自分が属していた世界の消滅である。
紅楼夢の賈家は、皇帝の外戚として栄え、そして没落する。庭園があり、召使いが数百人おり、詩会が開かれ、そして最後にすべてが失われる。曹家の経験がそのまま素材になっている。
だが記録ではない。冒頭に、この物語は石に刻まれていたものだという枠が置かれ、登場人物の名は同音の語で別の意味を示す。甄士隠は「真事隠」(真の事を隠す)、賈雨村は「仮語存」(仮の語を存す)に通じる。実話と虚構の境界を、作者自身が意図的に曖昧にしている。
人物の造形が精密である。作中に名を持つ人物は数百人にのぼり、そのうち数十人が独自の性格と話し方を持つ。とくに若い女性たちの描き分けが細かい。同じ状況に置かれたときの反応の違いによって、性格が示される。
日常が中心にある。事件らしい事件は少なく、食事、庭の散策、詩の会、贈り物のやりとり、召使い同士の口論が続く。その積み重ねのなかで、関係が変化し、家が傾いていく。
言葉は当時の北京の話し言葉に基づく。文語ではなく白話で書かれており、会話の生々しさが際立つ。
同時に、全体は仏教と道教の枠に収められている。すべては幻であり、栄華も愛も夢のようなものだ、という認識が冒頭と結末に置かれる。ただしその枠のなかで描かれる生活は、具体的で豊かである。この二重性が作品の性格を作っている。
作品
紅楼夢(『石頭記』とも)
唯一の作品である。
貴族の家に生まれた賈宝玉と、その従姉妹にあたる林黛玉、薛宝釵を中心にする。宝玉は科挙の勉強を嫌い、女性たちと詩を作って過ごす。病弱で聡明な黛玉を愛するが、家は健康で如才ない宝釵との結婚を進める。
曹雪芹が書いたのは前八十回とされる。生前は写本の形で流通し、脂硯斎という人物による批注が付された版が伝わっている。
1791年、程偉元と高鶚が後四十回を補って百二十回の活字本を刊行した。この後半部の成立をめぐっては議論が続いている。曹雪芹の草稿に基づくとする説、高鶚の創作とする説がある。前八十回と後四十回で、人物の性格や文体に差があるという指摘も多い。
日本語では全訳が複数出ている。分量が大きいため、まず筋と人物関係を把握できる解説書と併読するのが現実的である。
文学史における立ち位置と影響
紅楼夢は、中国小説の最高峰とされる。四大奇書と呼ばれる三国志演義・水滸伝・西遊記・金瓶梅が歴史や伝奇を素材にしたのに対し、この作品は同時代の日常を扱った。この点で、中国の小説の性格を大きく変えている。
「紅学」という専門の研究分野が成立した。一つの小説をめぐって独立した学問領域が作られた例は、世界的にも少ない。版本の系統、作者の伝記、後四十回の帰属、モデルの特定などが、二百年以上にわたって論じられ続けている。
魯迅は『中国小説史略』でこの作品を高く評価し、それ以前の小説とは書き方が根本的に違うと述べた。人物が善人と悪人に分かれず、実際の人間のように描かれている点を指摘している。
20世紀の中国では、政治的な読み方も繰り返された。封建社会の崩壊を描いた作品として位置づける解釈が、一時期の公式見解になっている。
日本での受容は、他の三作に比べると遅かった。分量と、細部の風俗の理解に前提知識を要することが理由である。それでも複数の全訳が出ており、研究も蓄積されている。