古典主義とは? 古代を範とし、規則と均整を重んじた文学
- 発祥
- フランス
- 年代
- 1630–1750
古典主義は、古代ギリシャ・ローマを手本とし、均整・明晰・規則を重んじた文学の立場である。フランスの17世紀に最も純粋な形をとった。
背景 — 秩序を重んじた17世紀フランス
古典主義が花開いた17世紀のフランスは、国王のもとに国家がまとまり、宮廷を中心に文化が営まれた時代である。乱れよりも秩序が、奔放さよりも節度が尊ばれた。文学もまた、個人が思うままに書くのではなく、誰もが認める規則に従って書くことが、格の高さの証とされる。
その規則の手本を、古代ギリシャ・ローマに求めた。古代の作品は、均整がとれ、明晰で、無駄がない。これに倣うことが正しい、と考えたのである。
なぜ規則を重んじたか
古典主義の核にあるのは、規則が芸術を縛って殺すのではなく、逆に、制約こそが密度を生むという考え方である。観客に信じさせる範囲をあらかじめ限れば、その枠の中で起きることの緊張が高まる。
その典型が、演劇に課された三単一の規則である。
| 規則 | 内容 |
|---|---|
| 筋の単一 | 主筋は一つに絞り、脇筋で分散させない |
| 場所の単一 | 舞台は一つの場所に限る |
| 時の単一 | 劇中の時間は一日以内に収める |
事件を舞台の外へ追い出すと、舞台の上に残るのは言葉だけになる。人物は行動する代わりに、語り、決意し、迷う。フランスの古典悲劇が、派手な事件ではなく心理の劇になったのは、この規則の直接の結果である。
フランスの古典主義
フランスでは1635年のアカデミー・フランセーズ設立以降、国家が言語と文学の規範を管理した。ラシーヌの悲劇フェードルは、三単一の枠の中で、逃げ場のない密室のような緊張を作り上げている。コルネイユが義務を意志で選び取る人物を描いたのに対し、ラシーヌは情念に押し流される人物を描いた。モリエールは喜劇でこの体制に触れ、聖職者の偽善を扱ったタルチュフは五年間の上演禁止になっている。

散文でも、簡潔で明晰という同じ趣味が実った。ラ・ロシュフコーは、人の美徳の裏にひそむ自己愛を、短い断章(箴言)で次々に暴いた。ラファイエット夫人のクレーヴの奥方は、抑えた筆致で心の動きを描き、近代的な心理小説の出発点になった。
ドイツの古典主義は別物
ここが最も間違えやすい点である。ドイツでは18世紀末にゲーテとシラーが、ヴァイマルで古代ギリシャを範とする古典主義を展開した。だが、これはフランスの古典主義とは別系統である。
| フランス古典主義 | ドイツ古典主義 | |
|---|---|---|
| 時期 | 17世紀 | 18世紀末 |
| 範とした対象 | 主にローマ | 主にギリシャ |
| 目指したもの | 規則の遵守と心理の密度 | 人間性の調和的な完成 |
同じ「古典主義」の語が当てられているために混同されやすいが、時期は百年以上ずれ、目指すものも違う。ドイツの古典主義は、直後のロマン主義と対にして語られることが多い(ドイツ古典主義・ロマン主義)。
後世への位置づけ
古典主義が築いた、規則と均整を重んじる美学は、長くフランス文学の背骨になった。そして19世紀のロマン主義が、個人の感情と規則の破壊を掲げて登場したとき、まっさきに乗り越えるべき相手として立ちはだかったのが、この古典主義である。反発される対象になったこと自体が、その支配の強さを物語っている。