ニコラ・ボワロー
- 原綴
- Nicolas Boileau
- 生没
- 1636–1711
- 出身
- パリ
- 国
- フランス
- 時代
- 17世紀
生涯
1636年、パリの官吏の家に生まれた。法律を学んだが、文学に進んだ。はじめは当時の文壇や悪しき詩人を辛辣に攻撃する諷刺詩で名を上げた。
その鋭い批評眼によって、しだいに文壇で重んじられるようになった。モリエール、ラシーヌ、ラ・フォンテーヌといった同時代の大作家たちと親しく交わり、その仲間の理論的な支柱となった。
やがてラシーヌとともに国王ルイ十四世の修史官(歴史を記録する役職)に任じられ、宮廷でも重んじられた。晩年は、古代の作家と近代の作家のどちらが優れているかをめぐる論争(新旧論争)で、近代派を率いたシャルル・ペローに対し、古代派の中心として論陣を張った。1711年に没した。
作風
ボワローの文学観の中心は、「理性」と「自然」である。すぐれた文学とは、理にかない、事物の本性にかなったものでなければならない。奇をてらった表現や、大げさな誇張を退け、明晰で節度ある表現を尊んだ。この理性を重んじる態度が、ボワローの批評を貫いている。
古代の作家を、越えるべき手本とした。ギリシャ・ローマの古典に、理性と自然にかなった美の完成された姿を見た。近代の作家も、この古典の規範に学ぶべきだと説いた。
批評家としては、辛辣さと的確さで知られた。凡庸な作品を容赦なく攻撃する一方、真に価値ある作品を鋭く見抜いた。その判断は権威をもち、同時代の文学の方向を定める力を持った。
作品
『詩法(L'Art poétique)』(1674年)
詩の書き方を、韻文で説いた詩論である。古代ローマの詩人ホラティウスの『詩論』にならい、各ジャンルの規則と、詩人が守るべき原則を体系的に示した。「理性を愛せよ」という言葉に代表される、明晰さと節度を重んじる古典主義の理念を、簡潔な警句として結晶させた。長くフランス文学の規範とされた。
『諷刺詩(Satires)』『書簡詩(Épîtres)』
文壇の悪弊や、同時代の人物を風刺した諷刺詩と、教訓的な内容を韻文でつづった書簡詩である。ボワローの鋭い批評眼と、明晰な詩才を示している。教会の聖歌隊のささいな席争いを、大げさに叙事詩ふうに描いた擬似英雄詩『譜面台(Le Lutrin)』もある。
また、古代ギリシャの『崇高について』を仏訳し、理性や規則では割り切れない、心を打つ崇高の力に光を当てた。規則を重んじる古典主義の理論家でありながら、後のロマン主義にもつながる美の観念を紹介した点で、その仕事は一面的ではない。
文学史における立ち位置と影響
ボワローは、フランス古典主義の理論を体系化した批評家として文学史に名を残す。モリエールやラシーヌが実作で示した古典主義の理想を、『詩法』において明確な規則と原理にまとめ上げた点に、その功績がある。
『詩法』が示した、理性と自然、明晰さと節度という基準は、その後一世紀以上にわたってフランス文学の規範であり続けた。十八世紀の文学は、多くがこのボワローの理念のもとにあった。
十九世紀のロマン主義は、規則にしばられたこの古典主義を打ち破ろうとした。その意味でボワローは、乗り越えられるべき権威ともなった。批判をふくめて長く参照され続けたこと自体が、その影響力の大きさを物語っている。