アルトゥル・シュニッツラー
- 原綴
- Arthur Schnitzler
- 生没
- 1862–1931
- 出身
- ウィーン
- 国
- ドイツ
- 時代
- 20世紀前半
生涯
1862年、ウィーンのユダヤ人家庭に生まれた。父は著名な喉頭科医で、歌手や俳優を患者に持っていた。
父の意向で医学を学び、1885年に医師資格を得た。父の死後に開業し、以後も医師の肩書を保ち続けている。専門は喉頭科と精神医学で、催眠療法についての論文も書いた。
同時に文筆を始め、1890年代から劇作家として認められる。ウィーンのカフェに集まる「若きウィーン」の一群に属し、ホーフマンスタールらと交わった。
作品は繰り返し当局と衝突した。1900年の『輪舞』は自費で二百部を印刷して配っただけだが、公刊後に発禁となる。1921年のベルリンでの上演は騒動を引き起こし、猥褻裁判にかけられた。無罪となったものの、シュニッツラー自身が上演を差し止めている。1900年の『グストル少尉』では、軍の名誉制度を嘲笑したとして予備役将校の資格を剥奪された。
私生活も作品の主題と重なる。多数の女性関係を持ち、その詳細を日記に記録し続けた。この日記は約八千頁に及び、後に全文が刊行されている。
1928年、娘が新婚旅行先で自死した。以後の三年は沈黙に近い。1931年、脳出血により69歳で死去した。
ナチス期に著作は焚書の対象となり、遺稿はイギリスへ持ち出されて保存された。
作風
シュニッツラーが書いたのは、性と、それを覆う社会の建前である。
世紀末ウィーンの市民社会には、厳格な道徳の規範があった。同時に、実際の生活では姦通と売買春が日常だった。この乖離が繰り返し扱われる。
『輪舞』はその構造を形式にした。十の場面それぞれで男女が性的な関係を持ち、そのうち一人が次の場面へ持ち越されて別の相手と関係する。娼婦から兵士、女中、若い紳士、人妻、その夫、と身分の階段を上っていき、最後に伯爵が最初の娼婦と交わって輪が閉じる。行為そのものは書かれず、その前後の会話だけが記される。同じ人物が相手によって全く違う話し方をすることが、そこで露わになる。
医師としての観察が書き方に出ている。人物の心理が臨床的に扱われ、無意識の動機が行動と食い違う様子が書かれる。フロイトは同時代のウィーンにおり、シュニッツラーに宛てた手紙のなかで、自分が研究によって得た知見をこの作家は直観によって知っていると述べ、そのため会うことを避けてきたと書いた。
技法の面では、内的独白を早くに用いた。『グストル少尉』は全篇が主人公の意識の流れで書かれている。決闘を挑めない相手に侮辱され、名誉のために自殺しなければならないと考えた将校が、一晩さまよう。ドイツ語文学で意識の流れを一篇まるごとに用いた最初期の例とされる。
ユダヤ人であることも主題になる。『道へ出て』では、同化したユダヤ人が直面する反ユダヤ主義が正面から扱われた。
作品
『アナトール』(1893年)
七つの短い場面からなる連作劇で、恋愛を繰り返す青年を描く。
『恋愛三昧』(1895年)
女を弄ぶ青年と、本気で愛する娘の対比を扱う。娘は決闘で死んだ相手が別の女のために死んだことを知る。
『輪舞』(執筆1897年、公刊1903年)
最も知られた戯曲である。
『グストル少尉』(1900年)
内的独白による中篇小説である。
『道へ出て』(1908年)
長篇で、ウィーンのユダヤ人社会の各層を描いた。
『夢小説』(1926年)
中篇である。ウィーンの医師が、妻の告白をきっかけに一夜の彷徨に出て、仮面舞踏会の秘密の儀式に紛れ込む。夢と現実の境が曖昧なまま進む。スタンリー・キューブリックの映画『アイズ ワイド シャット』の原作にあたる。
『テレーゼ』(1928年)
家庭教師として生きる女性の生涯を追う長篇である。
日本語では『夢小説』と『グストル少尉』が読みやすい。いずれも短い。
文学史における立ち位置と影響
シュニッツラーは、世紀末ウィーンの文化を代表する作家である。ホーフマンスタール、クリムト、フロイト、マーラーらと同じ時期・同じ都市にいた一群のなかに置かれる。
内的独白の技法において先駆的である。『グストル少尉』はジョイスのユリシーズより二十年以上早い。ジョイスとの直接の影響関係は証明されていないが、意識の流れの歴史を語る際に必ず言及される。
精神分析との関係も繰り返し論じられる。フロイトが自らの「分身」と呼んだ経緯があり、文学と精神分析が同じ対象を別の方法で扱った例として扱われる。
『輪舞』は、上演の歴史そのものが社会の変化を示す作品になった。長く上演が禁じられ、1982年に著作権が切れると各国で相次いで上演されている。翻案も多い。
ハプスブルク帝国末期を書いた作家として、ムージル、ヨーゼフ・ロート、ツヴァイクらと並べられる。ただしシュニッツラーは帝国の政治より、その社会に生きる個人の性と虚栄を扱った。
日本では森鷗外が早くに訳し、大正期の文壇に紹介した。『恋愛三昧』などが翻訳されている。