呉承恩

原綴
呉承恩
生没
1500頃–1582頃
出身
淮安府山陽県(現・江蘇省淮安)
中国
時代
元明清

生涯

1500年頃、江蘇省淮安に生まれた。商家の出だが、父は学問を好み、子に科挙を通じた出世を期待した。

幼少期から才気で知られたが、科挙には長く及第しなかった。四十代でようやく歳貢生という資格を得ている。正規の合格ではなく、年限による推薦に近い扱いである。

六十歳前後で長興県の県丞という下級の官職に就いた。だが上役と合わず、二年ほどで辞している。一説には、罪に問われて投獄されたともいう。

以後は故郷で詩文を作って過ごした。生活は貧しかったと伝えられる。1582年頃、八十歳ほどで死去した。子はいなかった。

西遊記の作者であるという説は、清代以降に有力になったものである。同時代の記録には、呉承恩が西遊記という書物を著したという記載があるが、それが小説なのか地理書なのかは特定されていない。20世紀に魯迅と胡適がこの説を支持したことで定着した。今日でも決定的な証拠はなく、異論が残っている。

作風

西遊記の方法は、聖なる旅を滑稽な物語に変えることである。

素材は史実にある。唐の僧玄奘が、経典を求めてインドへ渡り、十七年後に帰国した。その旅行記『大唐西域記』が残っている。宋代以降、この旅は講釈と芝居の題材になり、次第に神仏と妖怪が加わっていった。

呉承恩とされる作者は、その蓄積をまとめ、主役を入れ替えた。物語の中心にいるのは玄奘ではなく、供の孫悟空である。石から生まれた猿が、天界で暴れ、釈迦に五百年間封じられ、その後、旅の護衛として同行する。

孫悟空は英雄でありながら、傲慢で短気である。猪八戒は食欲と色欲に負ける。沙悟浄は寡黙で影が薄い。そして三蔵法師は、慈悲深いが、妖怪の変装を見抜けず、悟空を疑い、しばしば足手まといになる。聖なる旅の主役が最も無力だという構図が、全体の可笑しさを作っている。

構成は挿話の連なりである。八十一の難を経るという設定のもと、行く先々で妖怪が現れ、悟空が戦い、しばしば天界の助けを借りて解決する。話ごとに独立しており、どこから読んでも成立する。

諷刺も含まれる。天界の官僚制が、地上の役所と同じように描かれる。仏に会うために賄賂を要求される場面もある。妖怪の多くが、実は天上の神仏の使いや乗り物が逃げ出したものであり、罰せられずに回収される。

宗教的な枠組みは仏教・道教・儒教が混在する。修行の物語として読むことも、心の統御の寓意として読むこともでき、清代には様々な注釈が付された。

文体は白話である。会話が生き生きとしており、口語の面白さが前面に出る。

作品

西遊記(1590年代刊行)

唯一の主著とされる。百回からなる。

呉承恩自身の詩文集『射陽先生存稿』も伝わっている。ただし、そこには西遊記につながる要素はほとんど見られない。この不一致が、作者の帰属を疑う論拠の一つになっている。

日本語では全訳が複数あり、抄訳と児童向けの翻案も多い。分量は大きいが、挿話ごとに独立しているため、途中から読んでも困らない。

文学史における立ち位置と影響

西遊記は四大奇書の一つに数えられ、中国で最も広く親しまれた物語の一つである。

神魔小説と呼ばれる系統の代表にあたる。神仏と妖怪が入り乱れる幻想的な物語という形式は、この作品によって型が定まった。

魯迅は『中国小説史略』でこの作品を扱い、諷刺の要素を評価した。同時に、深遠な寓意を読み込む従来の注釈を退け、まず面白い読み物として書かれたものだと述べている。

東アジア全域に広がった。日本では江戸期から翻案が作られ、絵本と草双紙の題材になった。近代以降も繰り返し翻訳・翻案され、テレビドラマ、漫画、アニメーションを通じて、原作を読んでいない層にまで筋と人物が知られている。

孫悟空という人物像の普及は突出している。日本の漫画とアニメーションに、この造形を下敷きにした人物が数多く存在する。原典から離れた形での流通という点で、三国志演義と並ぶ広がりを持つ。

作者の帰属が確定していない点も、この作品の特徴である。中国の古典小説の多くが、講釈と芝居の集積から成立しており、単一の作者に帰することが難しい。西遊記はその典型にあたる。

作品

登場する文学史