津軽
- 作者
- 太宰治
- 成立
- 1944
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
故郷・津軽をめぐる旅の記録であり、育ての親との再会の物語である。
太宰は、出版社に頼まれて、故郷である津軽半島の風土記を書くことになった。その取材のため、太宰は生まれ故郷の津軽を、およそ三週間かけて旅する。 この作品は、その旅の記録という形をとっている。
太宰は、各地で旧友や知人と再会し、酒を酌み交わし、津軽の風景や人情を語る。表向きは、地誌・紀行文である。 だが、旅の本当の目的は、別のところにあった。
太宰には、幼い頃、自分を育ててくれたタケという女中がいた。裕福な家に生まれた太宰は、実の母よりも、この子守のタケに、深く懐いていた。タケは太宰が幼いうちに家を去り、以来、三十年近く会っていない。太宰は、この旅の最後に、そのタケに会いに行く。
物語の終わり、太宰は、津軽半島の北の小泊で、ついにタケと再会する。運動会の場で見つけたタケは、多くを語らない。だが、その無骨で不器用な態度の奥に、深い愛情がある。「私」は、この再会に、生まれて初めての、心の平安を感じる。
破滅型の作家として知られる太宰の作品のなかで、この作品は、例外的に明るく、温かい。
文学史における評価と影響
太宰治の作品のなかで、最も健やかで、幸福な一篇とされる。破滅や自己否定を書き続けた太宰の、意外な一面を示す。
太宰の文学は、人間失格や斜陽に代表される、自己破壊と罪の意識に貫かれている。だが、この作品には、その暗さがない。 故郷の風土への愛着、旧友との交歓、そして育ての親への思慕が、屈折なく描かれる。
主題は、愛されることへの渇望と、その充足である。太宰は、生涯、人に愛されたいと願いながら、その愛を素直に受け取れずに苦しんだ。だが、この旅の果てのタケとの再会で、太宰は、無条件の愛が確かに自分に注がれていたことを、実感する。 その充足が、作品全体を温める。
紀行文と自己探求の融合が、この作品の巧みなところにあたる。津軽の地誌を語りながら、その底に、自分は何者か、どこから来たのかという問いが流れている。外の風景をたどる旅が、そのまま内面の旅になっている。
タケとの再会の場面は、日本近代文学のなかでも、屈指の名場面とされる。多くを語らぬ再会に込められた情の深さが、多くの読者の心を打ってきた。
戦時下(1944年)という、太宰が比較的安定していた時期に書かれたことも、この作品の穏やかさと関わっている。
あらすじ
「私」(太宰)は、ある出版社から、故郷・津軽の風土記を書く仕事を依頼される。「私」は、生まれ故郷でありながら、津軽の北の方をよく知らない。 これを機に、津軽半島をぐるりと巡る旅に出ることにする。
旅は、三週間ほどに及ぶ。「私」は、青森、蟹田、龍飛、金木、小泊と、津軽の各地をたどっていく。
行く先々で、「私」は、旧友や知人に迎えられる。蟹田のN君、旧制中学以来の友人たち。彼らは、「私」を歓待し、酒を酌み交わす。貧しくも温かい津軽の人情、荒々しくも美しい北国の風景が、次々に描かれる。
「私」は、酒を飲みすぎては醜態を演じ、津軽人の気質——不器用で、照れ屋で、情に厚い性質——を、自嘲を交えて語る。それは「私」自身の気質でもあった。
だが、この旅には、もう一つの目的があった。
「私」には、幼い頃、タケという子守の女中がいた。大地主の家に、大勢の兄弟の末のほうに生まれた「私」は、実の母の愛を十分に受けられなかった。 その「私」を、実の子のように可愛がり、本を読ませ、しつけてくれたのが、このタケだった。
だが、タケは、「私」が六つか七つの頃に、嫁いで家を去った。以来、三十年近く、一度も会っていない。
旅の最後、「私」は、タケが嫁いだ先である、津軽半島の北の果て、小泊へと向かう。
小泊に着いた「私」は、タケの家を訪ねるが、留守だった。タケは、近くの小学校の運動会に行っているという。 「私」は、運動会の会場へと、タケを探しに行く。
大勢の人でにぎわう運動会の片隅で、「私」は、ついにタケを見つける。
だが、三十年ぶりの再会は、劇的なものではなかった。タケは、「私」の顔を見ても、大げさに喜んだりしない。ぶっきらぼうに、「よく来たな」とだけ言う。そして、二人は、運動会を眺めながら、並んで座る。タケは、多くを語らない。
だが、その無骨な態度の奥に、「私」は、確かな愛情を感じ取る。タケもまた、「私」との再会を、心から喜んでいるのだ。ただ、それを言葉や表情に出すことが、この津軽の女には、できないだけなのだ。
「私」は、このとき、生まれて初めてともいえる、深い安堵と平和を覚える。自分は、確かに、この人に愛されていた。その事実が、胸を満たす。
故郷をめぐる旅は、育ての親との再会という、静かな幸福にたどり着いて、閉じられる。