仮面の告白
- 作者
- 三島由紀夫
- 成立
- 1949
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
自分が何に欲望を感じるかを、順を追って分析した小説である。二百ページほど。一人称で書かれる。
語り手は、幼い頃から男の体に惹かれる。汚穢屋の若者の腿、祭りの神輿を担ぐ男たち、絵の中で矢に射抜かれた聖セバスチャンの裸体。それらに反応する自分を、語り手は観察し、記録する。
同時に、それを隠す。級友の前では女の話に合わせ、興味があるふりをする。 この「ふり」が題の仮面にあたる。
中心にあるのは園子という女性との関係である。友人の妹で、語り手は交際する。惹かれてもいる。だが自分が彼女に対して肉体的に反応しないことを、語り手は知っている。
結婚を勧められて断る。園子は別の男と結婚する。
数年後、二人は再会し、何度か会う。最後の場面で、語り手は園子と喫茶店にいる。 隣の空き地で、上半身裸の若者が踊っている。語り手の目はそちらに吸い寄せられる。
そのとき園子が、そろそろ時間だと言う。語り手は自分が別のものを見ていたことを悟る。そこで小説は終わる。
三島二十四歳の作品で、これが実質的な出世作にあたる。「告白」と題しながら「仮面の」と付いていることが、この作品の性質を示している。
文学史における評価と影響
三島の出発点であり、戦後文学のなかで最も早く同性愛を正面から扱った作品にあたる。
新しかったのは、それを苦悩として書かなかった点である。語り手は自分の欲望を嘆かない。顕微鏡で観察するように、精密に記述する。 性的な反応を、いつ、何を見て、どう起きたかまで書く。
文体が特徴的である。硬く、論理的で、比喩が凝っている。感情を吐き出すのではなく、感情の構造を説明する。この文体そのものが「仮面」だという読み方がある。
「仮面の告白」という題の逆説が、繰り返し論じられてきた。告白は仮面を外す行為のはずである。だがこの小説では、告白すること自体が新しい仮面になる。どこまでが本当の告白で、どこからが演技なのか、読者にも語り手にも決められない。
同時代の文脈も重要にあたる。1949年、戦後の混乱期である。太宰が死んだ翌年で、斜陽や人間失格のような自己破壊的な告白が読まれていた。三島はその型を借りて、まったく違うものを書いた。 太宰の告白が崩れていく人間の記録なら、三島の告白は自分を組み立てる作業である。
三島はこの後、金閣寺や豊饒の海を書き、1970年に自衛隊で割腹自殺する。この作品を、その最期から遡って読む解釈が、いまも繰り返し行われている。
あらすじ
語り手は、自分が生まれた瞬間を見たと主張するところから始める。産湯の盥の縁に光が当たっていた。 ありえないことだが、そう記憶している。
幼年期。病弱で、祖母に育てられる。祖母は語り手を自分の部屋に置き、外で遊ばせない。
四、五歳のころ、汚穢屋の若者とすれ違う。汚物を運ぶ仕事をしている。その股引に包まれた腿を見て、語り手は説明のつかない強い感情を覚える。そのとき「悲劇的なもの」への憧れが芽生えた、と語り手は分析する。
絵本の中の騎士に惹かれる。だがそれが女性だと聞かされた瞬間、興味が消える。
祭りの神輿を担ぐ男たちの、恍惚とした顔と汗ばんだ体。それも語り手を引きつける。
少年期。学習院に通う。級友近江に惹かれる。粗野で、体が発達し、成績は悪い。語り手は近江の手袋、肌、鉄棒での懸垂を見つめる。
やがて、それが嫉妬ではなく欲望だと気づく。
グイド・レーニの聖セバスチャンの絵を見る。木に縛られ、矢に射抜かれた青年の裸体。語り手はこの絵で初めて射精する。
以後、語り手は自分の欲望の対象を自覚する。同時に、それを隠すことを覚える。 級友が女の話をすれば合わせ、興味のあるふりをする。
青年期。友人草野の妹園子と出会う。清潔で、育ちがよく、まっすぐな娘である。
語り手は園子に惹かれる。その感情は本物だと自分でも思う。 だが体が反応しない。
戦時下、二人は文通し、会う。結婚の話が出る。 語り手は迷い、そして断る。自分に資格がないと考える。
園子は別の男と結婚する。
戦争が終わる。語り手は大学を出て、勤めに就く。
数年後、園子と再会する。人妻になった園子と、月に一度ほど会うようになる。二人のあいだに何も起こらないまま、時間が過ぎる。
最後の場面。夏の日、二人は場末の踊り場に面した喫茶店にいる。園子が何かを話している。
語り手の目は、隣の空き地に釘づけになる。上半身裸の若者が、腹に牡丹の刺青を入れて、椅子に腰かけている。
語り手はその体を見つめ続ける。園子の声が遠くなる。
やがて園子が時計を見て、そろそろ時間だと言う。語り手は立ち上がる。そのとき、自分たちが座っていた席に何かをこぼした跡があるのを見る。
そこで小説は終わる。