斜陽
- 作者
- 太宰治
- 成立
- 1947
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
敗戦で身分を失った家が、崩れていく話である。二百ページほど。語り手は娘のかず子で、日記のような一人称で進む。
一家は華族だった。父はすでに亡く、財産は失われ、東京の家を引き払って伊豆の山荘へ移る。残っているのは、母と、かず子と、南方から帰ってこない弟の直治である。
母は、最後の貴族として書かれる。食事の作法が自然で、庭で用を足す姿さえ気品がある。かず子はその母を美しいと思い、同時に、こういう人はもう生きていけないと知っている。
母は病んで死ぬ。
弟の直治は復員するが、麻薬に溺れ、金を無心し、遊び歩く。貴族であることに耐えられず、民衆になろうとして、どちらにもなれない。 最後は遺書を残して自殺する。
かず子だけが違う道を選ぶ。直治の師である作家上原——妻子ある中年の男——の子を産もうと決める。恋でも打算でもなく、古い道徳を壊すためにそうすると自分で言う。
最後、かず子は上原に手紙を書く。私生児を産み、育てる。それが自分の革命だ、と告げる。
題は「斜陽」——沈んでいく太陽である。刊行後、「斜陽族」という語が流行し、没落した上流階級を指す言葉として定着した。
文学史における評価と影響
戦後の日本で最も読まれた小説の一つにあたる。
背景には敗戦による身分制度の解体がある。1947年、華族制度が廃止された。財産税と農地改革で、旧上流階級は経済的にも支えを失う。 この作品はその渦中に書かれ、当事者たちが自分のことだと受け取った。
「斜陽族」という語が流行語になった。小説の題が社会階層の名前になった例にあたる。
モデルの問題が、この作品の評価に長く関わってきた。母と娘の造形には、太宰の愛人だった太田静子の日記が使われている。太宰は静子に日記を書かせ、それを借りて小説にした。静子は後に太宰の子を産む。 作中でかず子が私生児を産むことと、現実が重なっている。
四人の人物が四つの終わり方をする構成が指摘される。母は貴族のまま死に、直治は民衆になれずに死に、上原は堕落したまま生き延び、かず子だけが新しいことを始める。
直治の遺書は、この作品で最も引用される部分にあたる。貴族に生まれた自分は民衆の輪に入れず、かといって貴族としても生きられない。僕は、貴族です、という一行で終わる。
太宰はこの翌年に人間失格を書き、同じ1948年に玉川上水で死んだ。三十八歳。
あらすじ
母とかず子は、東京の家を売り、伊豆の山荘へ移る。かず子は二十九歳、離婚して実家に戻っている。
母は病弱だが、その所作は最後まで崩れない。スープを音を立てずに飲み、庭で用を足す姿にさえ気品がある。 かず子は、母こそ本物の貴族だと考える。
生活は苦しい。畑を作り、蛇を見て不吉に思い、火事を出しかける。それでも母は嘆かない。
弟の直治が南方から復員する。生きていた。だが帰った直治は麻薬中毒で、家の金を持ち出しては東京へ行き、遊び歩く。
かず子は、直治がかつて世話になった作家上原二郎のことを思い出す。六年前に一度会い、そのとき口づけされた。以来、かず子はその男を忘れていない。
かず子は上原に手紙を書く。三度書き、返事は来ない。
母の病が重くなる。結核だった。医者が来る。そして母は死ぬ。 かず子は、最後の貴婦人が死んだ、と考える。
葬儀の後、かず子は東京へ出る。上原を探し、飲み屋で見つける。上原はすっかり荒れ、酒と女に溺れていた。
かず子はその夜、上原と過ごす。望んだのはかず子のほうである。
伊豆に戻ると、直治が自殺していた。
遺書が残されている。長い遺書である。直治は書く。自分は貴族に生まれたために、民衆の中に入れなかった。民衆になろうとして薬を覚え、遊び、卑しく振る舞ったが、なりきれなかった。かといって貴族としても生きられない。
好きな女がいたことも書かれている。上原の妻だった。だが何もしなかった。
遺書の最後に、こうある。僕は、貴族です。
そしてかず子は、上原に手紙を書く。
自分は身ごもった。この子を産む。あなたに何かを求めるつもりはない。自分は古い道徳と戦い、太陽のように生きる。私生児とその母として生きることが、自分の革命だ。
手紙はそこで終わる。