鼻
- 作者
- 芥川龍之介
- 成立
- 1916
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
十ページほどの短篇である。
主人公は池の尾の禅智内供という僧。学識も人望もあるが、一つだけ悩みがある。鼻が異様に長い。 顎の下まで垂れ下がっており、食事のときは弟子に持ち上げてもらわなければならない。
内供はこれを気に病んでいる。だが、気にしていると人に知られたくない。話のついでに鼻の話が出ても、平気なふりをする。この見栄の張り方が、この短篇の見どころにあたる。
やがて弟子が、鼻を短くする方法を聞いてくる。熱湯で茹で、踏ませ、脂を絞り出す。やってみると、鼻は本当に短くなる。
内供は安堵する。だが、そこから話が始まる。
短くなった内供を見て、周囲の者が以前より露骨に笑うようになる。長かったときは同情していた者たちが、短くなると笑う。
芥川はここで、その理由を書いている。人には、他人の不幸に同情する心と、その不幸から他人が抜け出すと物足りなく思う心が、両方ある。 そして、抜け出した相手をもう一度同じ不幸に落としてやりたくなる。
内供は再び鼻を気にし始める。やがてある朝、目覚めると鼻はもとの長さに戻っていた。
内供はそれで安堵する。これでもう笑われまい、と晴れ晴れした心持ちで鼻を風に揺らす。そこで小説は終わる。
素材は今昔物語集と『宇治拾遺物語』にある。もとの話は、長い鼻の僧の滑稽な失敗を語るだけの短いものにあたる。芥川はそこに、他人の目を気にする心理を書き込んだ。
文学史における評価と影響
芥川の出世作である。1916年、東京帝国大学在学中に同人誌『新思潮』に発表された。
夏目漱石がこれを絶賛した。手紙で、大変面白い、材料が新しく、文章が要領を得ていて、そういうものをあと二、三十書けば文壇で類のない作家になれる、という趣旨のことを書いている。この一通で芥川の位置が決まった。
芥川の方法がここで確立している。古典から筋を借り、そこに近代の心理を入れる。もとの話は事件を述べて終わるが、芥川はなぜその人物がそうしたかを書く。 この方法は、羅生門、地獄変、藪の中へ続いていく。
「傍観者の利己主義」として知られる一節が、この短篇の中心にあたる。他人の不幸に同情し、その不幸から抜け出されると物足りなく思う。この観察は、作品を離れて繰り返し引用されてきた。
構成の完成度も評価される。十ページで、悩み、解決、その解決による新しい悩み、そして元に戻ることによる安堵、までを収める。無駄な描写がない。
同時代の自然主義との対比でも語られる。蒲団以降、日本の小説は作者の私生活を書く方向へ進んでいた。芥川は古典から材料を取り、作り物として構成した。 この立場は後に谷崎潤一郎との論争へつながる。
あらすじ
池の尾の禅智内供の鼻を知らない者はいない。長さは五、六寸あり、上唇の上から顎の下まで垂れ下がっている。 形は上下同じ太さで、細長い腸詰めのようなものが顔の真ん中からぶら下がっている。
内供は五十歳を過ぎている。若い頃からこれを気に病んできた。
理由は二つある。一つは実際に不便なこと。食事のときは、弟子が板で鼻を持ち上げていなければならない。 一度その役目を代わった中童子がくしゃみをして、鼻を粥の中へ落としたことがある。
もう一つは、気にしていることを人に知られたくないこと。内供は会話のなかで鼻という語が出ると、聞こえないふりをする。他人の鼻ばかり気にして、自分と同じ鼻を持つ人がいないか探す。経文の中に鼻の長い人物が出てこないか調べたこともある。
ある年の秋、弟子の僧が方法を聞いてくる。医者から教わった治療法である。
まず湯で鼻を茹でる。湯気が立つほどの熱さで、板に穴を開けてそこから鼻を出す。次に、茹で上がった鼻を人に踏ませる。 弟子が足で踏むと、脂が粟粒のように吹き出す。それを抜き、もう一度茹でる。
やってみると、鼻は縮んだ。短く、ふつうの鉤鼻になった。
内供は安堵する。これでもう笑われることはない。
ところが、そうならなかった。
周囲の者が、以前より露骨に笑うようになる。中童子は面と向かって吹き出し、弟子たちも背後で嘲る。長かったときには同情していた者たちが、短くなった途端に笑う。
その理由を、書き手は説明する。人の心には矛盾した二つの感情がある。他人の不幸に同情する心と、その不幸を切り抜けられると物足りなく感じる心である。そして、その相手をもう一度同じ不幸に陥れてみたくなる。
内供は不機嫌になり、誰彼となく怒鳴りつけるようになる。鼻を短くしたことを恨みさえする。
ある夜、風が吹き、内供は鼻がむず痒くて眠れない。
翌朝、目覚めて鼻に手をやると、もとの長さに戻っていた。
内供は、鼻が短くなったときと同じ、晴れ晴れとした心持ちになる。これでもう誰も笑うまい。長い鼻を暁の秋風に揺らせながら、内供は独りごちる。