歯車
- 作者
- 芥川龍之介
- 成立
- 1927
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
自分が壊れていく過程を、壊れながら書いた小説である。六章、五十ページほど。
語り手は作家で、芥川自身とほぼ重なる。友人の結婚披露宴のために東京へ出て、ホテルに泊まり、原稿を書き、街を歩く。それだけの話にあたる。
異常なのは、そのあいだに見えているものである。
視界の隅に、半透明の歯車が回っている。それが増えて視野を塞ぐと、やがて頭痛が来る。実際に片頭痛の前兆として起こる症状だが、作中では説明されない。ただ、また歯車が回り始めた、と書かれる。
もう一つが符合である。レインコートを着た男の話を聞いた直後にレインコートを見る。読んでいた本のページに、自分の状況と重なる一節が出る。偶然が偶然でなくなり、すべてが自分に向けられた合図に見えてくる。
語り手はそれが病気だと分かっている。分かっていても止められない。母が精神を病んで死んだことが繰り返し思い出され、自分も同じ道をたどるのではないかという恐怖が全体を覆う。
最後の一行が知られている。誰か自分の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか。
芥川はこの原稿を残して、1927年7月に自ら死んだ。三十五歳。この作品は死後に発表された。
文学史における評価と影響
芥川の最後期を代表する作品とされる。
初期の芥川は、鼻や地獄変のように古典から筋を借り、精密に構成した。この作品にはその構成がない。 見たものと考えたことが、順に並ぶだけである。
その変化そのものが文学史の論点になっている。作り物としての小説を重んじ、谷崎と論争した本人が、最後に筋のない、自分の精神状態そのものを書く形式に行き着いた。芥川が否定したはずの私小説に、いちばん近い場所で終わったという見方がある。
同時に、これを私小説と呼ぶことへの反論もある。書かれているのは事実の告白ではなく、知覚が壊れていく過程そのものである。歯車も符合も、日常の描写のなかに説明なしで置かれる。読者は語り手と同じ順序でそれを受け取る。この手法は、後の意識を扱う小説に通じるものとして評価されてきた。
芥川の死の受け取られ方も、この作品と切り離せない。遺書に記された「ぼんやりした不安」という言葉は、時代の空気を言い当てたものとして繰り返し引用された。大正の終わりと昭和の始まりの境目にあたる。
小林秀雄をはじめ、以後の批評家がこの死を論じ続けた。芥川賞が創設されるのは死の八年後である。
内容
一「レエン・コオト」。語り手は友人の結婚披露宴のため、車で東京へ向かう。運転手が、この辺りに幽霊が出るという話をする。レインコートを着た男の幽霊だという。
披露宴の後、ホテルに泊まる。そこでレインコートを着た男を見かける。
二「復讐」。ホテルの部屋で原稿を書く。廊下で本を読む。目の隅に歯車が回り始める。
三「夜」。街を歩く。書店に入る。手に取った本の一節が、自分の状況と重なる。次に取った本も同じだった。どの本を開いても、自分に向けた言葉が出てくるように感じる。
四「まだ?」。妹の夫が鉄道自殺したという知らせが入っていた。その後始末に関わる。義弟もレインコートを着ていた。
五「赤光」。母のことを思い出す。母は精神を病み、狂ったまま死んだ。自分にも同じ血が流れている。精神科医に相談したいと思うが、行けない。
六「飛行機」。語り手はさらに追い詰められる。眠れない。薬を飲む。街を歩けば、目に入るものが何かの符合に見える。
黄色いタクシー、モグラ、義足の男、そして再び歯車。すべてが自分を指しているように読める。
最後の場面。語り手は書く力を失っている。もうこの先を書き続ける力がない、こういう気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である、誰か自分の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか。
そこで原稿は終わる。