藪の中

作者
芥川龍之介
成立
1922
日本
時代
近代

概要

七つの証言だけでできた小説である。二十ページに満たない。地の文がない。誰かが誰かに向かって語っている言葉が、七つ並んでいるだけである。

事件はこうである。山中の藪で、武士の死体が見つかった。盗人が捕らえられ、妻が行方をくらまし、そして死んだ本人が巫女の口を借りて語る。

証言者は七人。木樵り、旅法師、放免、媼、そして盗人多襄丸、武士の妻、死んだ武士の霊

問題は、最後の三人が全員「自分が殺した」と言うことである。

多襄丸は、妻の求めに応じて武士と正々堂々と斬り合い、勝ったと語る。妻は、辱められた後、夫の軽蔑の目に耐えられず自分が刺したと語る。武士の霊は、妻に裏切られ、自分で胸を突いたと語る。

三つとも辻褄が合っている。そして互いに矛盾する。

真相は書かれない。最後の証言で小説は終わる。誰かが嘘をついているのか、全員が自分の見た通りを語っているのかも分からない。

種本は今昔物語集にある。巻二十九に、旅の男が縛られ妻を犯される話がある。だがそこには食い違う証言も謎もない。起きたことがただ書かれているだけである。芥川は、そこに誰の話を信じるかという問題を持ち込んだ。

文学史における評価と影響

真相を示さないという構造を、日本の小説に持ち込んだ作品にあたる。

主題は人は自分に都合よく語るという一点である。三人はいずれも自分を大きく見せている。多襄丸は堂々と戦った男として、妻は貞節を守ろうとした女として、武士は裏切られた側として。保身のためではなく、面目のために嘘をつく。 この観察が、この短篇の核心にある。

同時に、全員が嘘をついていないという読み方も成り立つ。人は自分が見たものしか語れない。同じ出来事が、三人には三通りに見えていた。どちらの読みも否定されないように書かれている。

「藪の中」という言葉が、日本語の慣用句になった。関係者の言い分が食い違って真相が分からない状態を、いまもこう呼ぶ。作品を読んでいない人にも通じる。

黒澤明の映画羅生門(1950年)が、この作品を世界に知らせた。原作はこの短篇で、題名と冒頭の場面だけ羅生門から取っている。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受け、日本映画が国際的に注目される契機になった。 英語圏では、証言が食い違う状況を「Rashomon effect」と呼ぶ。

私小説への対抗という位置づけもされる。同時代の日本文学は、作者の体験をそのまま書く方向へ進んでいた。芥川は逆に、誰の言葉も信用できない構造を作った。 作り物としての小説を重んじる姿勢が、ここに現れている。

あらすじ

検非違使に問われた木樵りの物語。山科の藪で死体を見つけた。胸を一突きにされていた。あたりに刀はなく、縄と櫛が落ちていた。馬蠅が死体に群がっていた。

旅法師の物語。前日、その男女を見かけた。男は太刀と弓矢を持ち、女は市女笠をかぶって馬に乗っていた。

放免の物語。盗人多襄丸を捕らえた。落馬して呻いていた。男の太刀と弓矢を持っていた。女好きで知られる悪名高い盗人である。

媼の物語。死んだ男は自分の娘の夫で、若狭の武士金沢武弘である。娘は真砂という。娘の行方は分からない。

多襄丸の白状。女を見て奪おうと思った。塚に埋めた宝があると偽って男を藪に誘い込み、縛りつけた。 そして女を連れてきた。

女は短刀で抵抗したが、組み伏せた。事が済むと、女は二人の男に恥を見られては生きていられないと言い、どちらか死んだほうの妻になると告げた。

そこで縄を解き、太刀を合わせた。二十三合まで打ち合って自分が勝った。女はその間に逃げていた。

清水寺に来た女の懺悔。夫の目を見た。そこにあったのは怒りでも悲しみでもなく、軽蔑だった。 その目が忘れられない。

気を失い、目覚めると盗人はいなかった。夫を殺してともに死のうと決め、小刀で胸を刺した。 そして自分も死のうとしたが、死にきれなかった。

巫女の口を借りた死霊の物語。盗人は事が済んだ後、女に一緒に来いと言った。女は承知し、そして言った。あの人を殺してください。生きている限りあなたとは行けません。

盗人はその言葉に顔色を変え、女を蹴り倒した。そして自分に向かって、この女をどうする、殺すか助けるか、と聞いた。 その一言で盗人を許す気になった。

女は逃げ、盗人は追って出ていった。

一人になった自分は、縄を解き、落ちていた小刀で胸を突いた。 意識が薄れるなか、誰かが来て小刀を抜いていくのを感じた。そして闇に沈んだ。

作者

登場する文学史