アーデルベルト・フォン・シャミッソー
- 原綴
- Adelbert von Chamisso
- 生没
- 1781–1838
- 出身
- シャンパーニュ地方ボンクール(フランス)
- 国
- ドイツ
- 時代
- 古典主義・ロマン主義
生涯
1781年、フランスのシャンパーニュ地方の貴族の家に生まれた。本名はルイ=シャルル=アデライード・ド・シャミッソーという。
1790年、フランス革命によって一家は財産を没収され、国外へ逃れた。各地を転々とした末にベルリンへ落ち着く。シャミッソーは十五歳でプロイセン王妃の小姓となり、その後プロイセン軍の士官になった。
母語はフランス語であり、ドイツ語は後から習得した言語である。この二重性が生涯を規定した。ナポレオン戦争では、フランス人でありながらプロイセン軍にいるという立場に置かれ、深く苦しんでいる。1806年に軍を離れ、しばらくフランスへ戻ったが、どちらの国にも居場所を見出せなかった。
1812年からベルリン大学で植物学と医学を学ぶ。1815年から18年にかけて、ロシアの探検船リューリク号に博物学者として乗り組み、世界周航に参加した。太平洋の島々、カムチャツカ、アラスカ、ハワイを訪れている。
この航海の最中、というより出発前後の時期に『ペーター・シュレミール』が書かれた。1814年の作である。
帰国後は植物学者として身を立て、ベルリン植物園の管理者になった。ハワイ語の文法研究も残している。1838年、56歳で死去した。
作風
『ペーター・シュレミール』は、居場所を失うことについての寓話である。貧しい青年シュレミールが、灰色の服の男から、望むだけ金の出る袋と引き換えに自分の影を差し出す。金は手に入るが、影のない人間は社会から排除される。子どもに笑われ、恋人の家族に拒まれ、どこにも居られなくなる。
影が何を意味するかは、作中で説明されない。名誉、社会的な立場、故郷、市民権。さまざまな読み方がなされてきた。シャミッソー自身が、フランス貴族でありプロイセン軍人でありドイツ語作家であるという、どこにも属さない立場にいたことは、繰り返し指摘される。
物語は寓話でありながら、細部が写実的である。金の袋から出る貨幣の量、七里靴で移動する距離、植物採集の手順。幻想的な設定に具体的な数字と手順が与えられる。この組み合わせが独特の効果を作っている。
結末も特徴的である。シュレミールは影を取り戻さない。悪魔との第二の取引(魂と引き換えに影を返す)を拒み、七里靴を手に入れて世界中を歩き回り、博物学の研究に生きる。社会への復帰ではなく、社会の外での仕事に落ち着くという終わり方である。
詩人としては、後年に社会的な主題を扱った。『女の愛と生涯』は、女性の一生を八篇の詩で辿ったもので、シューマンが作曲した。工場労働者や貧民を扱った詩もあり、19世紀の社会詩の先駆に数えられる。
作品
『ペーター・シュレミールの不思議な物語』(1814年)
代表作である。
『世界周航記』(1836年)
リューリク号の航海の記録である。博物学の報告と旅行記を兼ねる。
『女の愛と生涯』(1830年)
連作詩で、シューマンの歌曲集として広く知られる。
『サリスのラベンダー売り』などの社会詩も残している。
植物学の著作としては、南米とオセアニアの植物についての記載がある。植物の学名に献名としてその名が残っている。
日本語では『ペーター・シュレミール』が読める。短い。
文学史における立ち位置と影響
シャミッソーは、影を失う物語の作者として記憶されている。
この主題は繰り返し変奏された。ホフマンは鏡像を失う物語を書き、シュレミールを自作に登場させている。ワイルドのドリアン・グレイの肖像も、この系譜に置かれることがある。20世紀には映画とアニメーションの題材にもなった。
ドイツの周辺に位置づけられるが、その中心とは距離がある。ノヴァーリスやティークの理論的な志向を共有せず、より具体的で散文的である。
移民作家の先例としての位置づけが、近年になって強まった。母語でない言語で書いた作家として、コンラッドやベケットの系譜に接続される。ドイツには、ドイツ語を母語としない作家に与えられるシャミッソー賞(1985〜2017年)があり、この名が選ばれた理由もそこにある。
博物学者としての仕事も評価されている。文学と自然科学の両方で実績を残した人物として、ゲーテと並べて言及されることがある。
日本では『ペーター・シュレミール』が明治期から訳され、影を失うという発想が広く知られた。