ルネ・デカルト
- 原綴
- René Descartes
- 生没
- 1596–1650
- 出身
- トゥーレーヌ地方ラ・エー(現・アンドル=エ=ロワール県デカルト)
- 国
- フランス
- 時代
- 17世紀
生涯
1596年、トゥーレーヌ地方のラ・エー(現在はその名を「デカルト」と改めた町)に、法服貴族の家に生まれた。イエズス会の学校で当時最高の教育を受けたが、書物から得られる知識に飽き足らず、「世界という書物」に学ぶため各地を旅した。
一時は軍隊に身を投じ、ヨーロッパ各地を移動した。やがて思索に専念するため、思想の自由が比較的守られていたオランダに移り住んだ。ここで二十年あまりを過ごし、哲学・数学・自然学にわたる主要な著作を書いた。
晩年、スウェーデン女王クリスティーナに招かれてストックホルムに赴いた。だが北国の厳しい冬のなか、早朝の講義を求められる無理がたたり、まもなく肺炎を患って、1650年に客死した。
作風
デカルトの方法の核心は、「方法的懐疑」である。確実な真理に至るために、少しでも疑いうるものはすべて、いったん偽として退ける。感覚も、数学の真理さえも疑う。そうして疑い尽くしたのちに、疑っている自分の存在だけは疑えないと気づく。ここから「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」という第一の原理が導かれる。
明晰で判明なものだけを真とする、その理性主義が、デカルトの思考を貫いている。曖昧なものを排し、複雑な問題を単純な要素に分け、順序立てて確実に進む。この方法は、幾何学の証明を手本にしている。デカルト自身、すぐれた数学者でもあり、図形の問題を数式で解く解析幾何学を切り開いた。座標を使って点の位置を数で表す「デカルト座標」は、その名を今に伝えている。精神と物体を、たがいに独立した二つの実体として分ける「心身二元論」も、後世に大きな論点を残した。
文章もまた、明晰である。主著『方法序説』を、当時、学問の言葉だったラテン語ではなく、あえてフランス語で書いた。理性はすべての人に等しく備わるのだから、誰にでも読める言葉で書くべきだという考えによる。この明快なフランス語の散文は、思想の内容とともに、後世に影響を与えた。
作品
『方法序説(Discours de la méthode)』(1637年)
正しく理性を用いて真理に至るための方法を説いた著作である。「我思う、ゆえに我あり」の一句で名高い。自らの精神の遍歴を語りながら、方法的懐疑によって確実な知の出発点を求めた。もともとは、光学・気象・幾何学の三つの科学論文の序文として書かれたもので、その幾何学の論文で解析幾何学が示された。学問の書でありながらフランス語で平明に書かれ、近代哲学の出発点とされる。
『省察(Méditations)』
第一原理から、精神と物体、神の存在などを論じた、より本格的な哲学の書である。デカルトの形而上学の中心をなす。
文学史における立ち位置と影響
デカルトは、近代哲学の祖として、思想史のうえで巨大な位置を占める。中世の権威に頼る学問を離れ、みずからの理性を出発点として確実な知を築こうとしたその方法は、近代の思考のあり方そのものを方向づけた。
フランス文学史のうえでも、その意義は大きい。理性と明晰さを重んじるデカルトの精神は、同じ十七世紀の古典主義文学が掲げた明晰・簡潔の理想と深く響き合う。フランス語で書かれた明快な散文は、フランス的な明晰さ(クラルテ)の一つの手本となった。
「我思う、ゆえに我あり」に始まる、考える主体としての自己への注目は、近代の自己意識の出発点ともなった。哲学の枠を越えて、デカルトの思考は近代の文学と精神に深く根を下ろしている。