こころ

作者
夏目漱石
成立
1914
日本
時代
近代

概要

1914年に朝日新聞へ連載された長篇小説である。三部からなり、第三部は「先生」と呼ばれる男の遺書が全体の三分の一を占める。友人を裏切って恋人を得た男が、その罪を抱えて生き、明治の終わりに自ら死を選ぶまでを描く。漱石の後期を代表する作品で、戦後長く高校国語の教科書に採られてきた。

漱石は1907年に東京帝国大学の職を辞し、朝日新聞社に入社していた。専属作家として新聞に小説を連載するのが仕事であり、この作品も1914年に「心 先生の遺書」の題で連載された。当初は短い作品を何篇か連ねる構想だったが、第一作が長くなり、そのまま一篇の長篇になっている。

執筆の四年前、漱石は胃潰瘍で大量に吐血し、一時危篤に陥った(1910年、修善寺の大患)。死を間近に見たこの経験の後、作品はいっそう内面へ向かったという見方がある。

作中で扱われる明治天皇の崩御と乃木希典の殉死は1912年の出来事で、連載時点ではまだ二年前の記憶だった。単行本の装丁は漱石自身が手がけている。漱石はこの二年後、胃潰瘍により49歳で死去した。

文学史における評価と影響

先生は叔父に財産を騙し取られ、人間を信じられなくなった。その先生が、まったく同じように友人を裏切る。エゴイズムは他人の性質ではなく、自分の中にある——この発見が、先生を生かしておかない。作品の中心はここにある。

明治の文学が扱ってきた「近代的自我」の問題が、ここで一つの到達点に達したとされる。西洋から個人という考え方が入り、自我を確立せよと言われた。だが自我を突き詰めると、他人を踏みつけにする自分に行き当たる。漱石はこの主題を、前期三部作の三四郎それからから続けて書いている。

Kが死んだ原因は、一つに特定されない。恋の失敗か、信条の破綻か、先生の裏切りか。作品は答えを示さない。語られるのは先生の解釈だけで、その解釈が正しいという保証もない。先生自身、Kの遺書に自分への恨みが書かれていなかったことを、繰り返し反芻している。

同時期の主流は自然主義田山花袋らの私小説で、作者自身の生活と秘密を材料にするものだった。この作品は作者の実話ではなく、構成された虚構である。三部構成、手紙という仕掛け、時代の出来事との重ね合わせ。日本の近代小説が、告白ではなく構成によって内面を扱えることを示した点で、位置が大きい。

教科書に採られるのは「下」の一部、Kの死の前後が中心である。そのため、上と中を読まずにこの場面だけを知っている読者は多い。全体を読むと印象が変わる。先生の手紙が届いた場面で、「私」が危篤の父を置いて汽車に乗るという結末は、先生の話とは別のもう一つの冷たさとして置かれている。

著作権保護期間は満了しており、青空文庫で全文を読める。

あらすじ

語り手は「私」。時は明治の末。

上「先生と私」。夏休みに鎌倉の海へ来ていた大学生の「私」は、そこで見かけた年上の男と知り合い、「先生」と呼んで慕うようになる。東京に戻ってからも先生の家に出入りした。先生は定職を持たず、妻と二人で暮らしている。月に一度、決まって誰かの墓に参るが、誰の墓かは言わない。人を避けて生きており、「私」がその理由を尋ねても答えず、いずれ話すとだけ告げる。

中「両親と私」。卒業した「私」は、危篤の父のもとへ帰郷する。そこへ明治天皇の崩御と、乃木希典の殉死の報が届く。まもなく先生から分厚い手紙が来た。読み進めると、この手紙が届く頃には自分はもうこの世にいないだろう、と書かれている。「私」は危篤の父を残し、家を飛び出して東京行きの汽車に乗る。

下「先生と遺書」。手紙の全文がそのまま置かれる。先生は若い頃に両親を亡くし、財産の管理を任せた叔父に騙し取られて、人を信じられなくなっていた。東京の下宿で、その家の娘に思いを寄せる。そこへ、困窮していた親友のKを引き取って同居させた。Kは信仰と修養を重んじる求道的な男だったが、やがて同じ娘への恋を先生に打ち明ける。

先生は動揺し、先手を打った。かつてKが自分に向けた「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」という言葉をそのまま返してKを追い詰め、そのうえでKに知らせないまま、娘の母に結婚を申し込む。数日後、Kは自室で自殺した。遺書に先生への恨みはなく、もっと早く死ぬべきだったという趣旨が書かれていた。

先生は娘と結婚したが、その後の生涯を、罪を誰にも言えないまま過ごした。乃木の殉死を知り、自分も明治の精神に殉じるつもりだと書いて、死を選ぶ。

作者

登場する文学史