三四郎
- 作者
- 夏目漱石
- 成立
- 1908
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
1908年9月から12月まで、東京・大阪の朝日新聞に連載された長篇小説である。漱石が朝日新聞社に入社して二作目にあたり、それから、門と合わせて前期三部作と呼ばれる。三部作といっても人物や筋はつながっておらず、恋愛と社会の関係を段階を変えて扱っている点で並べられる。
主人公は熊本の高等学校を出て東京帝国大学に入学した二十三歳の小川三四郎で、視点はほぼこの人物に限られる。読者は三四郎に見えるものしか見ることができず、周囲の人物が何を考えているかは最後まで説明されない。
作中で三四郎は、自分の前に三つの世界があると考える。故郷の熊本、学問の世界、そして美しい女性のいる世界である。どれにも属しきれないまま話は進む。この小説では、主人公が何かを得ることも、決定的に失うこともない。 恋も学問も、輪郭のはっきりしないまま通り過ぎていく。
朝日新聞社に入社したのは1907年である。それまで東京帝国大学と第一高等学校で英文学を講じていたが、教職を辞し、新聞社の社員として小説を書くことを職業に選んだ。給料を受け取り、その代わりに連載小説を供給する契約で、以後の長篇はすべて新聞連載として書かれている。
入社第一作は『虞美人草』で、この作品はその次にあたる。前作の漢語を多用した装飾的な文体を捨て、話し言葉に近い文章に移った点が、しばしば指摘される。
舞台の多くは実在の場所である。東京帝国大学の三四郎池は、この小説にちなんで後年そう呼ばれるようになった。作中の池はもともと加賀藩前田家の庭園の池で、正式には育徳園心字池という。
冒頭の汽車の場面で広田先生が日本は亡びると述べる箇所は、日露戦争の勝利から三年後という時点に置かれている。戦勝で一等国になったという世論の高揚に対し、漱石は繰り返し懐疑的な発言を残しており、この台詞もその文脈にある。
文学史における評価と影響
若者が地方から都会へ出て、学問と恋愛に触れ、成長するという筋立ては、19世紀ヨーロッパの教養小説の型である。教養小説は、主人公が経験を通して自己を形づくっていく型の小説を指す。この作品はその型をなぞりながら、主人公が何も形づくらないまま終わる。三四郎は東京で見たものを理解できず、美禰子の意図も分からず、迷子という言葉だけを持って残される。型を借りて、その型が日本では成立しないことを示した作品として読まれてきた。
日露戦争後の日本社会を背景に置いた点も大きい。広田先生と野々宮は、地位も名声も求めずに学問だけをしている人物として描かれ、与次郎の運動はそれを世間の枠に押し込もうとして失敗する。三四郎は、どちらの側にも入れない。国が急速に西洋化していく時期に、その中身が自分のものになっていない感覚が、人物の造形に反映されている。
「ストレイ・シープ」という語は、この作品を離れて広く知られるようになった。美禰子が自分と三四郎の双方を指してこの語を使っているのか、それとも当てこすりなのかは作中で説明されない。この曖昧さがそのまま美禰子という人物の造形であり、後世の解釈が分かれてきた。
続くそれからでは、主人公はもう学生ではなく、他人の妻となった女を選んで社会から切れる。門では、その選択の後を生きる夫婦が描かれる。恋愛が社会の中でどこまで通るかという問いが、三作を通して段階を追う形になっている。
あらすじ
上京する汽車の中で、三四郎は同席した女と宿を共にすることになり、同じ部屋に泊まりながら何もしない。翌朝、女に、あなたはよほど度胸のない人だと言われる。同じ列車で、髭を生やした男と話す。日本はこれから発展するでしょうと言う三四郎に、男は「亡びるね」と答える。この男は、のちに高等学校の教師広田先生だと分かる。
東京では、大学の講義に出て、理学者の野々宮宗八を実験室に訪ねる。同郷の先輩にあたる。池のほとりで、看護婦を連れた若い女とすれ違う。女は白い花を落として去る。里見美禰子である。
三四郎は、同級生の与次郎、広田先生、野々宮を通じて交際の輪に入る。与次郎は落ち着きのない男で、広田先生を大学に迎えさせる運動を勝手に始め、雑誌に匿名で「偉大なる暗闇」という文章を書いて騒ぎを起こす。三四郎は借りた金を返してもらえないまま巻き込まれていく。
美禰子との距離は、近づいたり離れたりする。菊人形を見に行った帰り、二人は連れから離れて小川のほとりに立ち、美禰子は迷子という言葉を口にし、英語で迷える子(ストレイ・シープ)と言い直す。金を貸す、絵のモデルになる、展覧会で連れ立って歩く。そのたびに三四郎は意味を測りかね、確かめることもしない。
美禰子は兄の知人と結婚することが決まる。三四郎はそれを人づてに知る。教会から出てきた美禰子と最後に会い、聖書の言葉を引いた別れの挨拶を受ける。
画家原口が展覧会に出した美禰子の肖像画には「森の女」という題が付いている。三四郎はその絵の前に立ち、口の中で迷える羊という語を繰り返す。