潮騒
- 作者
- 三島由紀夫
- 成立
- 1954
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
三島の作品のなかで、例外的に明るく健康な恋物語である。短い長篇にあたる。
舞台は伊勢湾に浮かぶ小さな島歌島。主人公は若い漁師新治。貧しいが、たくましく、まっすぐな青年である。
新治は、島の海女の娘初江に恋をする。初江は、島一番の船主の娘で、他家から戻ってきたばかりだった。二人は互いに惹かれ合う。
だが、身分の差と、島の噂が二人を隔てる。初江の父は、貧しい漁師の新治を娘の相手として認めない。新治に横恋慕する男が、二人の仲を邪推する噂を流す。
物語の山場は、嵐の日に来る。新治は漁船に乗り込み、荒れる海で危険な仕事を、命がけでやり遂げる。その働きが認められ、初江の父は新治を認める。二人は結ばれる。
この筋は、古代ギリシャの物語を下敷きにしている。三島は、ギリシャの田園小説『ダフニスとクロエ』を、日本の漁村に移し替えて書いた。素朴な若者の恋、試練、そして成就という型が共通する。
三島は前年にギリシャを旅している。その古典的な美への傾倒が、この明るい小説を生んだ。
文学史における評価と影響
三島の代表作の一つであり、最も広く読まれた作品にあたる。
仮面の告白や金閣寺のような、屈折した内面や破滅を扱う三島の作品のなかで、この小説は異質である。 悩みも倒錯もなく、健康な若者の恋が、素直に成就する。
なぜ三島がこれを書いたかが、しばしば論じられる。三島は、自分に欠けているもの——素朴さ、肉体の健康、まっすぐな生——への憧れを、この島の青年に託した、という読み方が有力である。自分にないものを、理想として描いた。
ギリシャ古典の翻案という点も重要にあたる。三島はギリシャ旅行で古代の彫刻や神殿に感動し、その均整のとれた美を日本で再現しようとした。『ダフニスとクロエ』の型を借りることで、時代を超えた恋の物語の枠を得た。
文体は、三島の他の作品より平明である。装飾を抑え、島の自然と若者の動きを、清潔に描く。その端正さが、この作品の評価を支えている。
大衆的な人気も高く、五度にわたって映画化された。そのたびに当時の人気俳優が新治と初江を演じ、新人俳優の登竜門のようになった。
一方、理想化への批判もある。島の暮らしを美しく描きすぎている、貧しさや閉鎖性が消されている、という指摘である。現実の漁村ではなく、三島の理想の投影として読むべきだ、とされる。
あらすじ
伊勢湾の小さな島歌島。若い漁師新治は、父を亡くし、母(海女)と弟を養っている。貧しいが、朴訥で、体は鍛えられている。
ある夕方、新治は浜で、見慣れぬ娘を見かける。初江——島一番の船主照吉の娘で、養女に出されていたのが、跡取りとして呼び戻されたのだった。新治は、その娘に強く心を惹かれる。
二人は、島の灯台や山道で、幾度か言葉を交わすようになる。初江もまた、新治を憎からず思っている。
やがて二人は、嵐で漁に出られない日、山の観的哨(廃墟)で会う約束をする。火を焚いて温まり、裸で向き合う。だが二人は、一線を越えない。初江が、正式に結ばれるまではと言い、新治もそれを守る。
だが、噂が二人を襲う。
新治に恋する船主の娘千代子が、嫉妬から二人のことを言いふらす。また、初江に横恋慕する金持ちの息子安夫が、初江に乱暴を働こうとして拒まれ、二人の仲を邪推する噂を広める。
初江の父・照吉は激怒する。貧しい漁師の新治を、娘の相手として認めない。 二人は会うことを禁じられる。
新治は、身分の差の前に、なすすべがない。
やがて、照吉の持ち船が、遠洋航海に出る。新治と、恋敵の安夫が、その船に乗り組む。
航海の途中、嵐に遭う。船は暴風のなか、命綱を対岸のブイに結ばねば流される危機に陥る。荒れ狂う海に飛び込んで綱を結ぶ、という決死の仕事が必要になる。
安夫は怖じ気づいて動けない。新治が、荒波に飛び込む。 何度も波にさらわれながら、ついに綱を結びつけ、船を救う。
この働きが、新治を変える。船長は新治の勇気を称え、照吉の耳にもそれが届く。
照吉は、新治を認める。男は金でも家柄でもない、気力だ、と言う。 新治と初江の結婚を許す。
二人は結ばれる。灯台から島を見下ろしながら、新治は、自分の力で試練を乗り越えたのだと感じる。素朴な若者の恋が、まっすぐに成就して、物語は閉じられる。