遺言の書
- 原題
- Le Testament
- 作者
- フランソワ・ヴィヨン
- 成立
- 1461頃
- 国
- フランス
- 時代
- 中世
概要
1461年の暮れから翌年にかけて書かれた詩である。八行の聯を百八十ほど連ね、そのあいだにバラードなどの定型詩を十六篇挟む。全体で二千行余になる。
形式は遺言状にならう。ヴィヨンは自分を死にゆく者として、知人に品を遺していく。ただし遺されるのは、自分の持ち物ではないもの価値のないもの相手の悪徳を当てこするものである。名指しされるのは当時のパリの実在の人物で、警察の役人、金貸し、聖職者、居酒屋の主人が並ぶ。
その皮肉の合間に、まったく調子の違う詩が挟まる。バラードは、十行前後の聯を三つと短い献辞の聯で構成し、各聯の末尾に同じ一行を繰り返す定型である。ここで扱われるのは老い、貧困、死、そして過ぎ去ったものである。
五年前の形見の歌と同じ形式を使うが、規模も内容も大きく異なる。あいだに投獄と放浪があった。
ヴィヨンは1431年ごろパリに生まれた。生涯について分かることは、裁判記録と恩赦状に残る断片だけである。本名はフランソワ・ド・モンコルビエ、またはデ・ロージュとされる。「ヴィヨン」は養育者だった聖職者ギヨーム・ド・ヴィヨンの姓を継いだものにあたる。
パリ大学で学び、1452年に修士の学位を得ている。1455年、乱闘で司祭を刺殺したが、正当防衛と認められて恩赦を受けた。翌1456年、ナヴァール学寮に押し入って金庫から五百エキュを盗み、パリを逃れる。この直前に形見の歌を書いた。
以後は各地を転々とした。1461年の夏、オルレアン近郊ムーランの司教の牢に投獄されている。理由は分かっていない。地下牢で水とパンだけを与えられたと詩に書かれる。同年10月、新王ルイ十一世が即位してムーランを通過した際の恩赦で釈放された。この詩はその直後に書かれている。
1462年、パリで再び逮捕される。乱闘に巻き込まれ、絞首刑を宣告された。控訴した結果、1463年1月に十年のパリ追放へ減刑される。パリを離れた後の消息は分かっていない。どこでいつ死んだかも不明である。
作品は1489年に初めて印刷され、16世紀に何度も版を重ねた。
文学史における評価と影響
中世の詩の多くは類型的で、作者が誰であるかは問題にならない。宮廷風の恋、宗教的な寓意、騎士の武勲が定型に沿って歌われる。ヴィヨンは自分の名を詩に組み込み、自分の投獄、自分の貧しさ、自分の恐怖を書いた。実在の人物を実名で罵ってもいる。
諷刺と嘆きが同じ詩の中に並ぶ点も、この詩の特徴にあたる。娼館の描写の隣に母のための祈りが置かれる。片方を削れば分かりやすくなるが、両方が同じ書き手のものとして残されている。
死の扱いは、中世末期の状況と結びつく。百年戦争が終わったばかりで、疫病が繰り返し流行しており、教会には身分を問わず人を連れ去る「死の舞踏」の図が描かれていた。ヴィヨンの詩はその時期の感覚を、教訓ではなく個人の恐怖として書いている。
受容には長い断絶がある。16世紀にはラブレーが言及しているが、17世紀以降の古典主義の基準では、語彙も主題も粗野すぎるとされて低く評価された。再評価は19世紀のロマン主義期に始まる。ユゴー、ゴーティエが取り上げ、ヴェルレーヌの呪われた詩人たち以後は、犯罪者でありながら真の詩人であるという像が定着した。
太宰治は小説『ヴィヨンの妻』の題にこの詩人の名を使った。日本語訳では、バラードの定型をどう扱うかで訳者の方針が分かれる。
内容
冒頭でヴィヨンは自分の境遇を述べる。三十歳。牢に繋がれ、水とパンで夏を過ごした。オルレアンの司教ティボー・ドーシニーへの恨みが名指しで書かれる。貧しさと、若い日を無駄にしたことへの悔いが続く。
そこから遺贈が始まる。養育者の聖職者ギヨーム・ド・ヴィヨンに、かつて形見の歌で遺した名声を改めて遺す。以後は皮肉に転じ、実在の人物に無価値な品が割り当てられていく。
遺贈の合間に置かれたバラードが、この詩の評価を支えている。
「昔の美女たちのバラード」。歴史と伝説の女たちの名が並ぶ。フローラ、タイス、エロイーズ、ジャンヌ・ダルク。あの人はどこにいるのか、と各聯が問う。そして末尾に同じ一行が繰り返される——されど去年の雪はいまいずこ。フランス詩で最も知られた一行にあたる。
「かつて美しかった兜屋の娘の嘆き」。年老いた女が、失われた自分の体を数え上げる。額、髪、眉、肩、腕、そして胸。かつてどうだったか、いまどうなっているか。省略も婉曲もない。
「太っちょマルゴのバラード」では、娼館での暮らしが下品な語で歌われる。繰り返し句は、この売春宿でわれらは暮らす、という趣旨の一行である。
母のために作った聖母への祈りのバラードが、対照的な位置に置かれる。母の言葉として書かれており、自分は貧しい老女で何も知らず、字も読めない、教会の壁に描かれた天国と地獄の絵を見るだけだ、という内容である。各聯の頭の文字を続けると VILLON と読める。
末尾でヴィヨンは自分の埋葬を指示し、墓碑銘を書く。葬儀の費用の当てがないことも記される。
なお「絞首刑囚のバラード」は、この詩には含まれない。処刑を待つ時期に書かれた別の詩で、絞首台に吊るされた死者たちが通行人に呼びかける内容だが、しばしば同じ本に収められる。