存在と無
- 原題
- L'Être et le Néant
- 作者
- ジャン=ポール・サルトル
- 成立
- 1943
- 国
- フランス
- 時代
- 20世紀以降
概要
千ページ近い哲学書で、術語が多く、通読する読者は少ない。それでも20世紀の思想でこれを外すことはできない。
議論の中心にあるのは、人間と物との違いである。
机は机であり、それ以外ではない。人間はそうならない。自分について考え、自分から距離を取り、いまの自分ではない何かになろうとする。サルトルは、人間の意識にはこの「隙間」があると考え、そこに無という語を当てた。
この隙間から自由が出てくる。人間にあらかじめ定まった中身がない以上、自分で選ぶほかない。そして選んだことの責任は自分にある。逃げ場はない。サルトルはこれを「人間は自由の刑に処せられている」と表現した。
もう一つの柱が、他人の扱いである。他人に見られると、自分は一つの決まったものとして固定される。この分析が、戯曲出口なしの「地獄とは他人のことだ」につながる。
平易な要約は、翌々年の講演実存主義とは何かにある。
サルトルは1905年に生まれ、高等師範学校で哲学を学んだ。1933年から翌年にかけてベルリンに留学し、フッサールの現象学を学んでいる。ハイデガーの著作もこの時期に読んだ。
1939年に召集され、翌年ドイツ軍の捕虜になった。1941年に解放され、パリに戻ってこの本を書いた。刊行は1943年、占領下である。
同じ年、戯曲『蠅』が上演された。翌1944年に出口なしが初演される。哲学書で論じたことを、並行して劇と小説で書くという形が、この時期に確立した。
なお1938年の小説嘔吐は、この本の内容を先取りしている。物の存在に理由がないという認識が、術語を使わずに書かれている。
文学史における評価と影響
実存主義の主著として扱われる。「実存は本質に先立つ」という定式そのものは、この本ではなく1945年の講演実存主義とは何かで示された。
不誠実の分析は、哲学の外にも広がった。役割や立場を理由にして選択を放棄する態度を指す語として、心理学や社会学でも参照される。
まなざしの議論も影響が大きい。見られることによって対象にされるという分析は、後の思想で繰り返し使われた。ボーヴォワールは、この「他者」の概念を女性の状況に適用し、1949年の第二の性を書いている。
批判もある。個人の意識から出発するため、社会や歴史の条件が十分に扱われていないという指摘である。サルトル自身、1950年代以降はマルクス主義との接続を試み、1960年の『弁証法的理性批判』でこの問題に取り組んだ。
日本では1950年代から訳がある。哲学の術語に不案内な読者には難しく、実際には嘔吐や出口なしを通じてこの思想に触れる場合が多い。
内容
即自と対自という二つの語で、物と人間が区別される。
即自存在は物のあり方を指す。ただそこにあり、自分について何も問わない。石は石であることに悩まない。
対自存在は意識のあり方を指す。意識は常に何かについての意識であり、自分自身とも一致しない。自分を眺め、自分から離れ、まだそうでないものへ向かう。この「一致しない」ところにサルトルは無を見る。
不誠実の章が、この本で最もよく引かれる。
人は自由の重さから逃げようとする。その方法が、自分を物のように扱うことである。私はこういう性格だから仕方がない、この立場だからこうするしかない、と言って選択を消す。
例として、カフェの給仕が挙げられる。その男の動作は少し速すぎ、少し正確すぎ、客への態度が少し丁寧すぎる。給仕を演じている。自分が給仕という物であるかのように振る舞い、そうすることで、他の生き方を選べる立場から目を逸らしている。
まなざしの章がもう一つの中心にあたる。
例として、鍵穴を覗いている場面が置かれる。覗いているあいだ、その人物には自分を意識する余裕がない。関心は向こう側にある。
そこへ廊下で足音がする。誰かが自分を見ている。その瞬間、自分は「覗き見をしている卑劣な男」として固定される。それまで自由な主体だったものが、他人にとっての一つの対象になる。
サルトルは、他人との関係が根本的にこの争いだと論じる。見る側に立てば相手を対象にし、見られる側に立てば自分が対象になる。愛も、この構造から逃れられないと分析される。
末尾で、人間が神になろうとする欲望が論じられる。物のように確固としていて、同時に意識である存在。この二つは両立しないため、その欲望は必ず失敗する。サルトルは、人間は無益な受難であると書いて本を閉じる。