文学とは何か
- 作者
- ジャン=ポール・サルトル
- 成立
- 1947
- 国
- フランス
- 時代
- 20世紀以降
概要
文学は何のために書くのかを問い、「参加」の文学論を打ち立てた評論である。
サルトルは、嘔吐や存在と無で実存主義の哲学を確立した。この『文学とは何か』は、その哲学を文学の問題に適用した、代表的な文学論にあたる。
サルトルは三つの問いを立てる。「書くとは、何か」「なぜ、書くのか」「誰のために書くのか」。 この根本的な問いに順に答えていく。
サルトルの答えの核心が、「アンガージュマン(engagement)」——「参加」あるいは「関与」の思想である。作家は言葉によって、世界を名指し、暴き出す。そして暴かれた以上、読者は、もはやそれを知らなかったふりは、できない。文学は読者に行動を促す。だから書くことは社会に参加する行為なのである。
サルトルは「散文」の作家に社会への責任を求める。詩は言葉そのものを目的とするが、散文は、言葉を道具として、世界に働きかける。作家はその言葉によって、抑圧や不正を告発し、人間の自由のために闘わねばならない。
芸術のための芸術を退け、文学を社会を変えるための行動とする。戦後の知識人のあり方を決定づけた、影響力の大きな文学論である。
文学史における評価と影響
サルトルの文学論の中心をなす評論であり、戦後の「アンガージュマン(参加)の文学」の理論的な支柱とされる。
この評論の主張は文学の社会的な責任である。サルトルは作家を象牙の塔にこもる者としては、認めない。言葉によって世界を暴く作家は、その行為によって、社会に責任を負う。不正や抑圧を前にして、沈黙することは、それを黙認することである。作家は自らの自由な選択として、社会に「参加(アンガージェ)」し、闘わねばならない。
実存主義との結びつきが明確である。サルトルの哲学の中心は、「人間は、自由であり、自らの選択に責任を負う」という思想だった。この文学論はその思想を作家という存在にあてはめたものである。 書くことは、一つの自由な選択であり、ゆえに責任を伴う。
「散文」と「詩」の区別も重要である。サルトルは詩を言葉それ自体を物として扱うものとして、社会への参加の義務から除外した。一方散文は言葉を意味を伝え、世界に働きかける、道具として用いる。 ゆえに散文の作家にこそ、社会への責任が、求められる。
この評論は戦後の多くの知識人に絶大な影響を与えた。同時に文学を政治の道具にするものだ、という批判も、招いた。 とりわけ後にサルトルと決別するカミュらとの論争を引き起こした。文学と社会の関係を問う、二十世紀の最も重要な文学論の一つである。
内容
『文学とは何か』はサルトルが、雑誌に発表した、長い評論である。彼はこの評論で文学をめぐる、三つの根本的な問いに答えていく。
第一の問いは「書くとは、何か」である。
サルトルは言葉には二つの使い方があると区別する。「詩」は、言葉を絵の具や、音のようにそれ自体が、価値を持つ「物」として、扱う。一方「散文」は、言葉を何かを意味し、伝え、世界に働きかけるための「道具」として、用いる。 サルトルが、問題にするのは、この道具としての言葉を使う、散文である。散文の作家は言葉によって、世界のありようを名指し、暴き出す。
第二の問いは「なぜ、書くのか」である。
サルトルは答える。作家が書くのは世界を暴き出し、それを通じて、読者の自由に働きかけるためである。作家がたとえば、社会の不正を言葉で描き出す。するとそれを読んだ読者は、もはやその不正を知らなかったとは、言えなくなる。暴かれた現実を前に読者は、それをそのままにしておくか、変えようとするか、選択を迫られる。このように書くことは、読者に行動を呼びかける行為なのである。
第三の問いは「誰のために書くのか」である。
サルトルは作家はつねに同時代の具体的な読者に向けて書く、と論じる。そして作家はその読者とともに自分たちの生きる、この社会の現実に関わらねばならない。
これらの考察を通じて、サルトルが、打ち立てるのが、「アンガージュマン(engagement)」——「参加」の文学論である。
作家は言葉によって、世界を暴く。その暴露はそれ自体が社会への働きかけであり、参加である。ゆえに作家は、その行為に責任を負う。不正や、抑圧を前にして、沈黙し、芸術の世界に閉じこもることは、許されない。作家は自らの自由な選択として、社会に参加し、人間の自由のために闘わねばならない。
芸術のための芸術を退け、文学を社会を変えるための実践へと位置づける。この力強い文学論は戦後の知識人のあり方を決定づけ、二十世紀の文学と思想にはかりしれない影響を与えることになった。