李白

黒い帽子をかぶり長いひげを垂らした李白の肖像画。右上に「唐翰林供奉李白」と記されている。
『唐名臣像』より
原綴
李白
生没
701–762
出身
西域碎葉(推定)/幼少期は蜀(現・四川省)
中国
時代
唐宋

生涯

701年に生まれた。出生地は西域の碎葉(現在のキルギス付近)とする説があり、確定していない。幼少期を蜀(現在の四川省)で過ごした。商人の家の出とされ、科挙を受けた記録がない。当時の官途の本道から外れた出自だった。

若い頃から各地を放浪した。剣術を好み、任侠の徒と交わり、道教にも傾倒している。

742年、41歳のとき、推挙されて長安に召され、玄宗に仕えた。だが宮廷での職は詩文を作る側近にとどまり、政治に関与できない。酒の上での振る舞いもあって二年ほどで長安を去った。

755年、安史の乱が起きる。李白は玄宗の子である永王の幕下に加わったが、永王が反逆者とされたため連座し、流罪となった。恩赦で赦されたのは途上でのことである。762年、各地を転々とした末に、親戚を頼った当塗で62歳で死去した。舟の上で水に映る月を捕らえようとして溺れたという伝説があるが、後世の作り話である。

作風

李白の詩の特徴は、奔放な想像力と誇張にある。実際の風景を写すより、想像のなかで拡大された情景を歌う。滝を三千尺と言い、白髪を三千丈と言う。数字は測量ではなく感覚の表現として使われる。

主題は繰り返される。酒、月、旅、友との別れ。「月下独酌」では、一人で飲む場に月と自分の影を招き、三人で飲むという趣向をとる。

形式の面では、規則の厳しい律詩より、比較的自由な古体詩や絶句を得意とした。即興で作ったとされる逸話が多く残っている。同時代の杜甫が推敲を重ねたのとは対照的である。

道教への傾倒も詩に出る。仙人、崑崙、天上界といった語彙が頻出し、地上を離れる感覚が繰り返し歌われる。政治的な不遇や社会の惨状を直接扱うことは、杜甫に比べて少ない。

作品

千首近い詩が伝わっている。

「静夜思」は、寝台の前に射す月光を見て故郷を思う四行の詩である。日中両国で最もよく知られた漢詩の一つで、日本でも中国でも初学者が最初に習う。

「早発白帝城」は、流罪を赦されて長江を下る舟の速さを歌う。両岸の猿の声が終わらないうちに舟は幾重もの山を過ぎた、という結びが知られる。

「将進酒」は酒を勧める長い歌で、天が自分に才能を与えた以上必ず使い道がある、という一節を含む。

「月下独酌」は、月と影を相手に飲む。

アンソロジーから入るのが現実的である。一首が短く、書き下し文と訳と註が揃った版なら負担が少ない。訓読(書き下し文)で読むか現代語訳で読むかで印象が変わる。日本では長く訓読で受容されてきたため、そのリズムに親しむ価値もある。

文学史における立ち位置と影響

李白は杜甫と並び称され、二人で唐詩の頂点とされる。李白は「詩仙」、杜甫は「詩聖」と呼ばれる。

対比の内容は、李白が天才的・直観的・道教的であるのに対し、杜甫が努力的・写実的・儒教的である、というものである。ただしこの対比は後世の整理であり、単純化を含む。二人は実際に交友があり、互いに詩を贈り合っている。

日本への影響が極めて大きい。平安期から読まれ続け、漢詩文の教養の中核をなした。近世松尾芭蕉も李白・杜甫の詩を踏まえている。日本人が「漢詩」と聞いて思い浮かべるものの多くが、この二人に由来する。

西欧での受容は19世紀末以降である。エズラ・パウンドが日本語経由の訳稿をもとに英訳を作り、その簡潔なイメージの提示が、20世紀初頭の英語詩に影響した。マーラーの『大地の歌』も、李白らの詩のドイツ語訳を歌詞にしている。

登場する文学史