雪国
- 作者
- 川端康成
- 成立
- 1935-1948
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
1935年から断続的に雑誌へ発表され、加筆と改稿を重ねて1948年に完結した長篇小説である。新潟の湯沢を思わせる温泉町を舞台に、東京から来た男と、その土地の芸者との関係を描く。事件らしい事件は起きず、雪と鏡と火事の情景、人物の気配の移り変わりで進む。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という冒頭が広く知られる。川端の代表作とされ、ノーベル文学賞の授賞理由でも言及された。
川端は1934年から湯沢温泉に滞在し、そこで得た素材からこの作品を書いた。1935年に短篇として『文藝春秋』などに発表し、以後、断続的に続篇を書き足していく。1937年にいったん単行本にまとめたが、その後も加筆を続け、1948年の『雪国』決定版で完結とした。書き始めから完結まで十三年かかっている。
もともと独立した短篇の連なりとして書かれたため、章ごとに調子の差がある。最後の火事の場面は、戦後になって書き加えられた部分にあたる。
文学史における評価と影響
筋ではなく、情景と感覚の連なりで進む小説である。島村が何かを決断することはなく、駒子との関係も結末を持たない。読者が受け取るのは、雪の白さ、汽車の窓に映る顔、火事の夜の天の川といった場面の連なりである。物語を追う読み方をすると、何も起きないまま終わる。
冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」は、説明を省いて一気に読者を情景の中へ置く。主語がなく、誰が抜けたのかも書かれない。この書き方は、川端が若い頃に横光利一らと唱えた新感覚派の方法——事物を説明的に描かず、感覚そのものを文にする——の到達点にあたる。
汽車の窓の場面は、この作品で最もよく論じられる。窓ガラスに葉子の顔が映り、その向こうを流れる野山の景色と重なる。娘の目のなかを、遠くの灯がともって過ぎていく。現実の景色と鏡像が一枚に重なるこの描写が、作品全体の見方を示すものとして読まれてきた。
島村は徹底して傍観者である。労働もせず、決断もせず、駒子の生き方を「徒労」と眺めるだけである。この人物をどう評価するかで、作品の読み方が変わる。美を見る目の代理とする読み方と、無責任な男として批判する読み方が並んでいる。
1968年、川端は日本人として初めてノーベル文学賞を受けた。授賞理由でこの作品が挙げられており、日本文学が国際的に読まれる契機になった。エドワード・サイデンステッカーによる英訳が、その受容を支えている。
著作権保護期間は満了している。
あらすじ
島村は東京に妻子を持ち、親の遺産で暮らしている。西洋舞踊の評論を書いているが、実物の舞踊は見ず、輸入した書物と写真だけを頼りにしている。
その島村が、雪国の温泉町を三度訪れる。
一度目、島村は駒子という娘と知り合う。芸者ではなかったが、宴席に呼ばれて出ていた。二人は一夜をともにする。
二度目は冬。汽車の窓に、向かいの席の娘の顔が映っている。窓の外の夕景と娘の顔が重なり、娘の目のなかを野山の灯が通り過ぎていく。娘は葉子といい、病人の男を介抱しながら同じ駅で降りた。病人は行男といって、駒子の師匠の息子である。駒子は行男の療養費を稼ぐために芸者に出た、という話が町では語られている。
駒子は島村のもとへ通う。芸者として座敷に出て、酔って帰り、また来る。日記を几帳面につけ、読んだ小説の題名と作者を全部書き留めているという。島村はその努力を、報われることのない徒労だと感じる。行男が死んでも、駒子は葬儀に行こうとしない。
三度目は秋から初冬。葉子が島村のもとへ来て、自分を東京へ連れて行ってほしいと頼む。駒子と葉子の関係は、島村には最後まで掴めない。
ある夜、町の繭倉で映画会が開かれ、火事になる。駆けつけた島村は、二階から葉子の身体が落ちてくるのを見る。駒子が葉子を抱き上げて叫ぶ。島村が足を踏みしめて見上げると、天の川が音を立てるように島村のなかへ流れ落ちてきた。